青年海外協力隊/大学生/野菜/野生/野性

今日は残りの人生の最初の日

山梨大学→京都大学大学院生 兼 青年海外協力隊29年度2次隊。フィリピンへ。人生ネタを書きます。

青年海外協力隊の訓練を終えた今

青年海外協力隊2017年度2次隊の訓練生活を終えた。

終えてから一週間と経過していない今思い出す訓練生活を綴ろうと思う。

 

この70日間は、総じて一生の思い出になったことに間違いはない。

ここでの出会いも一生続くだろう。

出会った仲間の今後も非常に楽しみだし、現在と2年後の自分のギャップを見てもらうのもすごく楽しみだ。

家族のような距離感で関われる仲間も、尊敬する人もたくさんできた。

修了式には、ドライに見える人が涙を流していた。

やはりここでの生活は私だけではなく、誰しもにとって特別だったのだろう。

 

 

            f:id:yaseiyasaidanji:20170918162106j:plain

 

しかし、

これから時間が経って残る記憶はこのようないいものばかりになるだろうから、

ここでは敢えて、あくまでも個人的悲観的視点でこの70日間を振り返ってみたい。

 

訓練の内容と感想を書こうと思う。

 

 

訓練の内容

協力隊の訓練の内容は大きく分けて、

語学

諸々の講座

の二つに分かれる。このルーティーンに度々イベントが挟まれる。

 

それ以外では、

毎朝の約20分間のランニング

二本松市内の農家さんやお寺、デイサービスセンターや老人ホーム、保育園などへボランティアをしに行く2日間の所外活動

一泊二日の野外訓練

訓練生が自主的に開設する自主講座・イベントの企画や参加

などがある。 

また、各委員会活動やJICAから出される諸々の課題が休む暇を与えてくれない。

私は野外訓練委員を務めた。

アウトドアが好きだからという気持ちで踏み込んだものの、一番大変な委員会だった。特に当日一週間前から頭の中は野外訓練でいっぱいになった。

野外訓練委員を考えている訓練生は、覚悟していた方がいい。

 

これらの語学以外の訓練が、果たしてどの程度“訓練”として意味を持ってくるのかまだわからないが、とにかく忙しい毎日だったことに間違いはない。

 

 

やはり、誰しもが70日間で最も苦労するのはもちろん、

語学授業である。

 

この70日間で、中学3年間の英語の学習時間×2に値する時間を語学習得に割くらしい。

また、講師も実力派揃いで、クラスも基本的には少人数制をとっている。

日本最強の語学学校と言われる所以はこの辺りにあるのだろう。

非英語の訓練生たちは、初めて勉強する外国語を2ヶ月後にはある程度話せるようになっているのだから驚きだ。

 

では、英語履修者は楽じゃないかと言われれば、そんなことはない。

英語クラスには、普通のホームクラスとは別に非英語クラスにはないテクニカルクラスという授業が設置されている。

そのクラスでは自分の任国での要請に関連する専門的な英語力や、ワークショップの企画運営力を身につけさせる。毎回課題も大量に出る。多くの訓練生にとって、これまでの英語力とは全く違うスキルを身につけさせることになるため、非英語のクラス同様非常に苦しくなることには変わりない。

            f:id:yaseiyasaidanji:20170918161506j:plain

(農業チームに所属していた私のテクニカルクラスはそこまできつくなかったし、ホームクラスも幸いなことに最もゆるいクラスだったので、大変さはクラスによっても違う)

 

しかし、大学院生というもう一つの顔を持った私にとっては、大学に提出するレポートとの両立に最も追い込まれた。心が折れかけた。そこにいる95%以上の人たちは、その訓練生活だけに集中すればいいので、この境遇を共有できる人はいない。

私が以前の記事でも勧めている、この青年海外協力隊 兼 大学院生」の両立は、正直、70日間の訓練期間はかなり厳しい。貴重なそこで出会った面白い人との付き合いに割く時間がなくなるし、精神的にゆとりがないため、ノリの悪い訓練生にならざるを得ない。

これが、大学連携で参加できている学生にとってはまた違うかもしれない。

また、大学院によってはレポートの期日や内容を融通して貰えばいいかもしれない。

 

自分が非英語のクラスだったら成し遂げられていないことだったと思う。

語学力は追い求めたら終わりがない。私も決して成し遂げられたのは最低限のことで、総合的な英語力が伸びた実感はそこまでないのが本音だ。

 

よく語学に悩み泣いている訓練生も見たし、多くの人はこの70日間が人生で最も勉強した期間だったと口にしていた。

これから訓練に行く方々は、ぜひ自分なりの乗り切り方を考えておくといいだろう。

外出可能な水土日に開かれる飲み会は、訓練期間中誰しもが頑張りのエネルギー源にする。

 

講座については、記憶に残る新しい気づきを与えてくれる体験型のものもあれば、ただ座っているのが苦痛な内容のものもあった。睡眠や内職をしている訓練生も多い。スタッフはそれをみて度々注意する。

内容的には本来意味あるものばかりだったと思うが、

健康・安全や危機管理関係以外の講座については、この1・2時間話を聞いた程度でどうなるのかというものもあった。

 

終盤になると、講座の内容が出題されるテストもあるので、講座の間はメモを取るように心がけるといい。講座テストの内容は、初日に配布されるハンドブックに記載されている。選択式のテストで、正答のほとんどは配布された資料に掲載されているので難易度も決して高くないが、毎回7%前後の訓練生が再試験を受験させられているので全く対策せず合格するテストでもない。一度全資料目を通しておくといい。

 

 

訓練の感想

私は、この“訓練”を終えて、なんともスッキリしない気持ちが残った。それは、facebookタイムラインが同期隊員による訓練終了と協力隊に正式になれたことを報告する投稿の嵐になっている訓練終了後5日目の今も変わらない。

 

 

どうもモヤーーットしていることがなんなのか、まだわからない。

 

 

協力隊を志願してくる人たちは皆様々で、実に多様なバックグラウンドを持っている。モチベーションもボランティア理論も異なる。それはこの事業の魅力でもある。

協力隊事業がチャレンジの場でなく、一時的な日本社会からのエスケイプや、単なる海外渡航のきっかけ提供の場になっていることも、決して悪いことではないと思う。この2年間を通して何かを感じ取り、社会へ還元して行くことで、それは日本のためにも時には途上国のためにもなっていく。

 

協力隊事業もその一部であるODA予算は、時に国家予算案決定の際に予算削減の対象として白羽の矢が立つ。

税金であるそのお金の使い道が国民に見えにくいため、どうその予算が有効活用されているのか認知されにくいから仕方ない。その結果が日本や国民へ還元されるのも遠い先だ。

お役所仕事なので、どうしても一年の協力隊予算はその年度内に使い切る必要がある。

そのためには、現行の訓練制度の中では、少ない志願者に対して、協力隊の窓口を大きくし、合格ラインを引き下げざるを得ない。繰り返すが、これも魅力なのだ。多くの市民に参加の資格ときっかけが提供される。

 

しかし、私たちの活動は本当に途上国のためなのだろうか。(いや、そうではない。やはりそれは建前の話で、日本のためだ)

ボランティアという言葉は果たして私たちの活動を表すのに適切なのだろうか。(いや、本当は日本の名前を広め、日本の評価を少し引き上げるために飛ばされる駒の一つ一つに過ぎない)

 

 

世界に途上国を生み、途上国たらしめている先進国の人間がボランティアに行く。

 

それも先進国の決して豊かでない国民から集めた税金を使って。

 

 

 

世の中には矛盾だらけだが、その一つ一つに感傷に浸っている時間的余裕はもうない。

                        

           f:id:yaseiyasaidanji:20170918162204j:plain

 

動く組織が大きければ大きいほど、外交や政治と関われば関わるほど、その概念は複雑だ。

その社会の複雑性と、心の澄んだ協力隊訓練生の抱く参加動機には大きな隔たりがあるようにも感じた。

 

 

 

これから訓練を受ける候補生には、訓練生同士、ぜひ深い話をすることをお勧めしたい。

なぜ協力隊に来たのか。

どんな社会に不満を抱いているのか、それをどう変えていきたいのか。

何が自分を途上国に導いたのか。

帰国後には何をしたいのか。

 

私の感じたモヤモヤも、忙しさゆえの対話の不足によるものだったと思う。

 

 

来月フィリピンへ派遣されれば、私は一個人の協力隊員だ。

背中に日本国旗を背負っていようが、付き合えるのは目の前の数えられる人々だ。

対等な立場で向き合い、私に何ができるのか、模索してきたい。

活動を日本の方々に紹介するのも、国民の皆さんから集めたお金で派遣されている以上、当然の一つの責務だと思っている。

  

派遣までの日本での1ヶ月間、しっかり会いたい人に会って(会いきれないが)、

準備して臨みたいと思います。

 

ここまで読んでいただいた方、ありがとうございました。

      f:id:yaseiyasaidanji:20170918161719j:plain

サボっていた記録とアウトプットをまた再開します!!

 

協力隊赴任地であるフィリピンの田舎に突撃ホームステイしてみて

先日、卒業旅行と題してタイ・ラオス・フィリピンを全18日間の日程で旅してきました。

主な目的地はラオスルアンパバーンとパクセ、そして協力隊の赴任地であるフィリピンパナイ島アンティケ州です。

 

この記事ではフィリピンへの視察旅についてまとめてみます。

今回の目的地はパナイ島にあるAntique(アンティケ)州のSan Remigio(サンレミギオ)町。私はこの町の役所に置かれる農業事務所にこの秋から派遣になるため、あらかじめ情報収集に当たろうと考えました。

 

f:id:yaseiyasaidanji:20170315115857p:plain

(目的地はここ↑)

 

フィリピンの田舎にホームステイしてみた

 

 

みなさんのフィリピンの治安のイメージはどんなものでしょうか。

 

私はこれまでに4回フィリピンを訪れていますが、一般的に観光客として歩ける場所(≒観光地)で覚える恐怖感は他の東南アジア諸国と比較して群を抜いていました。

また、マニラ市内やスラム地域、夜の街は1人で安心して歩けたものではありません。

スリは当たり前に横行しています。モールの付近で4人組の青年に囲まれバックを強引に奪われそうになったこともあれば、子供達に囲まれて気がついたらポケットに手を入れられたなんてこともあります(日常的に事件が発生するような場所は大体決まっています)。友人は殺人現場を目の当たりにしています。地方に住むフィリピン人ですら都市部に住むフィリピン人を信用しませんし、1人で行くこと自体止めてきます。

 

 

さて、「ホームステイしてみた」は些か間違いで、どちらかといえば「ホームステイせざるを得なかった」が当時の状況を正しく表現しています。

目的地に「宿泊場所なんてない」と前泊したホテルで聞かされていたので、宿泊地の予約なし、飛び込み訪問を図らざるを得ませんでした。実体験に基づく暗いイメージを抱きつつ、アクセス情報無し、宿泊場所も無しということで、好む好まない関係なくノープラン旅をせざるを得なくなったわけですから、久しぶりにヒヤヒヤした旅のスタートでした。

 

 

イロイロ国際空港から(San Jose de Buenavista 経由)協力隊赴任地San Remigioへのアクセス 

パナイ島は中央に山脈が連なり、地域は大きく東西に区切られ、生活様式も言語も異なります。そのため、中央を貫通する交通手段は今の所なく(現在建設中)、島をぐるっと回り込む形で移動しなければなりません。

 

今回私はセブ空港からイロイロ空港にローカル便で降り立ちました。

 

まず、イロイロ国際空港からイロイロ市内SMモールまでは乗り合いバンが出ています。一回の乗車50Pです(ただし、SMから空港へは70P)。バンが満員になると発車しますので、時間にゆとりを持って乗車することをお勧めします。

SMからMoloのターミナルまで徒歩またはモーターバイク、ジプニーで移動します。ジプニーで移動する場合、乗り換えが必要になるので土地の理に詳しくない場合はモーターバイクが無難でしょう。

市内のMoloのターミナルからSan Jose de Buenavista 行きに乗り(70〜100P)、終点で降りるとそこがジプニーターミナルになっています。驚いたのは、このSan Joseのターミナルにマニラからのバスが発着していること。エアコン付きのバスで1000P、丸一日かけて海をバスごと渡ってきます。

          f:id:yaseiyasaidanji:20170315131754j:plain

 

ジプニーターミナルでSan Remigio 行きのジプニーを探します。そのジプニーはSan RemigioのPublic Market まで連れて行ってくれます。私が今回行ったのはSan Remigioの中にある山あいのバランガイAningalanで、Public Marketからさらにモーターバイクで20分ほど登ったところです。Moloのターミナルを朝6時に出発し、11時半頃にはAningalanに到着しました。

 

 

パナイ島の人々の心の温かさ

さて、San JoseにMoloのターミナルから乗り合いバンで到着したのはいいものの、そこからSan Remigioへの行き方がわからなかったので、市内にあるtourist officeを訪れました。が、土曜で閉まっていました。そこで、その付近にいた警備員に「San Remigioに行きたいんだけど」と伝えてみると、彼はまさにSan Remigio出身とのこと。

 

東南アジアを歩いていると、この人は信用できるのかできないのか、瞬時に判断できるようになりますよね。

 

これはラッキーだと思い、行き方を教えてもらいました。この方が恩人①。その後なんと、恩人②のジプニードライバー、恩人③のトライシクルドライバーが私を丁重に次の人へと託し、彼らについていくだけで簡単に目的地であるSan RemigioのAningalanに到着し、それだけではなく、そのままホームステイさせてもらう運びに自然となりました。ジプニードライバーにも「俺の弟の家なら泊まっていいからな」みたいに言っていただきました。

 

 

信じられますか?私のこれまでのフィリピン渡航経験の中では全く考えられない経験でした。これまで、「フィリピンを歩くときは誰も信じるな」 が経験から得られた自分にとっての教訓だったからです。

 

 あとで調べてみてわかりましたが、このパナイ島の人々はフィリピンの中でも性格が温厚で愛情深い人々が多く、イロイロシティは「愛のまち」と呼ばれているようです。納得です。

(田舎の人にはイロイロシティはそれでも都会で危ないから気をつけろと警告を受けました。。)

 

 

サンレミギオはこんなところ

今回のホームステイ先である赴任地の紹介を少しだけしたいと思います。

サンレミギオ(San Remigio)の特にアニガラン(Aningalan)は山岳地域に属するため(標高は300m〜500m)フィリピンの中でも珍しく涼しい気候が特徴的です。そのため、この避暑地を求め観光客や外部からの移住者の注目の的になっています。夜間は半袖でいると肌寒く感じられます。

     f:id:yaseiyasaidanji:20170315131757j:plain

(どこか私の地元である山梨県八ヶ岳南麓と似た景色。)

 

    f:id:yaseiyasaidanji:20170315132028j:plain

広大な敷地を都市部の富裕層が買い占め、原住民と混在しています。彼らからしたら、週末に帰る別荘というイメージでしょうか。中には土地外の人間を雇用し、観光客をターゲットにイチゴ栽培をしている一帯もありました。(イチゴ栽培といえば以前の協力隊員の影響でしょうか?)

 

f:id:yaseiyasaidanji:20170315131934j:plain

低地は機械化の波がすでに及んでいるようでしたが、ここではまだ水牛を使って耕耘していました。これを体験するのが一つの夢でした。単純作業に見えてそう上手くいきません。早く赴任してから習得したいです。

 

       f:id:yaseiyasaidanji:20170315131844j:plain

Aningalanのマーケットには地元で栽培された有機野菜が並んでいました。ツアー客は喜んで買っていきます。多品目にも及ぶ野菜が栽培されており、正直驚きました。写真には写っていませんがこの他にもトマト、ナス、トウモロコシ、ダイズ、ピーマン、レタス、サヤエンドウ、サヨーテ、ダイコンなどなど。どれも有機栽培です。

 

       f:id:yaseiyasaidanji:20170315131952j:plain

フィリピン料理と聞くと油っぽく肉がメインの印象が強いですがここではしっかり十分で良質かつ新鮮な野菜を摂ることができます。ホームステイ先のホストマザーが作ってくれる料理は格別でした。

 

       f:id:yaseiyasaidanji:20170315132106j:plain

        f:id:yaseiyasaidanji:20170315132049j:plain

洞窟や渓谷はここの有力な観光資源。30Pの入場料を払うとガイドが付いてくれます。ラフレシアは生憎枯れてしまったあとでした。花は5日間の命なのでしょうがありません。まだ一般公開されていない洞窟にも案内してくれました。

 

  f:id:yaseiyasaidanji:20170315132121j:plain

案内してくれたのはスポンジボブの帽子をかぶった彼女。

 

      f:id:yaseiyasaidanji:20170315132154j:plain

この池では釣りもできるらしいのですが時間的に厳しかったようです。

 

     f:id:yaseiyasaidanji:20170315143116j:plain

モーニングコーヒーはもちろんネスカフェ

 

f:id:yaseiyasaidanji:20170315132204j:plain

夜集まった村の子供達とホームステイ先のホストファザー。彼らは日本に興味津々。日本語のレッスンが突如として始まりました。心の清らかな子達です。

 

     f:id:yaseiyasaidanji:20170315132220j:plain

今回滞在したホストご夫婦と、結局4日間も僕の面倒を見てくれたツアーガイド。この旅一番の恩人達です。決して見返りを求めないおもてなし、なんだか懐かしい気がしました。

 

田舎に飛び込んでみて

この旅全体を通して、一番に考えさせられたこと、それは

「何がこんなにも人々の性格を変えるのか」ということです。

これまでの観光地巡りの旅では考えられない、同じ国の人々でもまったく違う心からの優しさを感じました。これは日本の都会と地方とでも置き換えることができるかもしれません。

 

何が擦れた人間をつくるのでしょうか。

換言すると、何が寛大で優しい人間性を、貪欲でセコい人間性にするのでしょうか。

 

 

現地視察を事前にする意義

まず、全職種に言えることですが、JICAの要請に記された現地情報は必ずしも正しくありません。それは調査不足に起因する要素もあるかと思いますが、基本的に時間差が要因のようです。派遣要請が提出されてから、志願者を募り、合格し訓練を終えていざ現地へ派遣となるとそこには1年から2年の時間的隔たりが出てしまうため、現状は変化します。

 

私の場合、要請には「現地では有機栽培はされていない」と記されていましたが根本から間違いで、3年前から有機栽培が始まっていました。これを知って赴任するのとしないのとでは、活動始動に向けて費やす時間的エネルギーに雲泥の差が生じます(今でも赴任してから最初の1年間は具体的な活動自体何もできないというのが暗黙の通説、それはそれでいいと思いますが)。

また、協力隊員には、日本のノウハウを一方的に提供するのではなく、現地の要望に耳をそばだて、彼らの文化や環境に配慮した形でボランティア活動をすることが求められます。つまり、どうしても、まずは彼らの生活に溶け込み信頼を得て、現地情報収集し、、、と考えるとまとまった時間がどうしても必要です。

赴任地の現状を早めに正確に捉えた上で、情報へのアクセスが容易な日本で自分の不足知識や技術を補完して赴任することで、よりスムーズに活動始動できるようになるのではないでしょうか。

さらに、現地の人と連絡先を交換しておくことで、現地の正確な情報をon timeでキャッチすることができます。

 

特に野菜栽培隊員は、派遣時に最も荷物が多くなる職種と聞きます。書籍等に加え農機具や諸道具なども持ち込む必要があるからです。ですが、あらかじめ現地の情報(気候や栽培品種、栽培方法など)を得ることで、この荷物の量を必要最低限に抑えることができます。農業の方法に正解はありませんので、派遣されてから彼らの農業を理解しようとしてもそこに莫大な時間がかかってしまします。まして、私のように実務経験が乏しい隊員のように、経験不足がネックであればなおさらです。国内での活動イメージ像は実際には意味をなないかもしれませんが、頼りどころとなる幹があるのとないのとでは負担が違うと思います。

 

 

にほんブログ村 海外生活ブログ フィリピン情報へ
にほんブログ村 海外生活ブログ 青年海外協力隊へ

にほんブログ村 大学生日記ブログへ

青年海外協力隊を目指す学生の皆さんへ〜志願書の書き方編〜②

現在大学生の方、または新卒で青年海外協力隊を目指す皆さん

こんにちは。
大学の卒業論文の提出を終え、あとは最終発表会を待つのみとなりました。

クリスマスから年末にかけて

卒論をほっぽらかしてタイの蓮の花を見に行ってきました。
最高でした。

f:id:yaseiyasaidanji:20170201170903j:plain

今回は、書類審査での質問内容と、僕自身が誰の添削も受けずに作成した志願書で選考をパスした方法を書きます。

(面接の対応法はまた改めてまとめてみます。)

 

さて、青年海外協力隊を考えている人でしたら一度は調べたことがあるかもれませんが、選考は二段階踏まれます。それぞれの選考に一ヶ月程度かかります。

 

一次・・・書類審査

二次・・・個人面接(人物面接+技術面接)

 

です。

そうです、書類審査を通らなければ東京での面接にすら呼ばれません

 そして、学生の多くがこの書類審査で落選します。

 

一次審査で提出する書類は以下の5種類です。

 

 

①応募者調書

②応募用紙

③職種別試験解答用紙(該当職種のみ)

④語学力申告台紙

⑤健康診断申告書

 

過去の記事でも書きましたが、この書類の中で最重要審査項目は⑤の健康診断申告書でしょう。

(以下リンク先) 

yaseiyasaidanji.hatenablog.com

 

しかしこの⑤については直前にどうすることもできないので、今回は①〜③の書類作成にあたって僕が心がけたことを書こうと思います。

 

 
①応募者調書

 応募者調書には、

一般的な就職活動と同様、個人情報出願回数資格(外国語含む)の有無職歴趣味・特技などの

基本的な情報を書きます。

さらに、

 職種に関する実務経験・指導経験ボランティア経験、海外経験、社会活動経験等に加え、学生の場合は専攻や実習経験の有無などを記入します。(スポーツ枠の場合は過去の経験や大会の成績なども)

 

学生の多くの場合、実務経験や指導経験は無いので、それに代わるボランティア経験や海外経験を記入します。それらの経験を学生の間に長期的に積んでいるとかなり強いと思います。その時点で学生としての最大の短所である「専門分野での経験の不足」が克服できるわけですから。
僕の場合は野菜栽培に関連したボランティア活動も海外経験も皆無でしたので何も書けませんでした。

しかし、実務経験や指導経験が書けないからといって落胆する必要は全くありません

もう一度見てみてください。志願者が学生の場合に限っての記入事項が設けられています。

 

自分が現在進行形で学び続けているフレッシュな専門知識

吸収力に富んだ脳みそ広範囲にわたる視野

をここでアピールできます。

 

大学には自分が出願しようとしている分野に関連したスペシャリスト達がたくさんいます。

そのスペシャリスト達から吸収する機会である受講の経験、さらには実習経験をここで書きます。

逆に言うなれば、学生の間は関心ごとの範囲を広げ、貪欲に授業を聴講し、吸収できるものはしておくと、このような機会にアプローチの選択肢が増えます。

 

僕の場合、野菜栽培に直接関連した授業を受講したことがありませんでしたが(残念ながらそんな授業はありませんでした)、気象学や土壌学さらには農業が与える環境影響評価の実習経験、などから多角的に有機農業を見る視点を養ったことを書きました。これらは一般歴な現役農家さん達には書けないことです。経験量こそ劣りますが、持ち合わせた視点の数、固定観念のなさは逆に強みになります。

今思い返せば、より早くから学科の垣根を超えた授業の聴講をしておくべきだったと思っています。実習も今ではアルバイトやインターンとして補える機会がたくさんあるので探してみるといいかもしれません。

 

 
②応募用紙 

 応募用紙は志願者全員に課せられた書類の中で最も記入事項が多く、それだけに差の出る書類です。

f:id:yaseiyasaidanji:20170201153313p:plainf:id:yaseiyasaidanji:20170201153307p:plain

 

項目を整理すると、

1.動機・抱負

2.ボランティア活動の意義・目的

3.職種選択の理由

4.職種に関連した経験、技術適合性(セールスポイント)

5.予想される自信の弱点

6.経験以外に特筆するべき自己PR

7.協力隊帰国者の語る体験の中で心に残っているエピソードやアイディア

8.実際に自身が派遣された場合の活動内容

9.帰国後に経験をどう生かすか

 

 

 

ここで僕が最も注意したのは以下の点でした。

 でも、実は「なんとなく協力隊受けてみるか〜」で合格しちゃう人も中にはいます。

 

  • 日本ODA事業の一環として行われる協力隊派遣の目的にしっかり沿った個人的見解か
  • この経験が2年間のみで終わらず、将来に発展性があることが伝わるか(個人の人生目標達成と日本・国際社会への還元という二つの側面から)
  • オリジナリティーをアピールできているか

 

 

ここでいくら詭弁を並べても、JICAの意向に沿った協力隊員像にマッチしなければ、彼らにとっては採用する魅力が減ります。JICAのホームページをチェックし、協力隊派遣の目的に一貫して合致する書類作成を心がけました。そしてその中で自分の人生設計の中での協力隊経験の明確な位置付け自分だけが持ち合わせた他人にはない経験を明記しました。

 

 具体的な個人的理由は過去の記事に書きましたので見てみてください。

 

yaseiyasaidanji.hatenablog.com

 

 

③職種別試験解答用紙

僕が志願した野菜栽培隊員に課されたのは簡単なテストのようなものでした。字数制限なく以下の問いに解答して他の書類とともに送るという形でした。つまり、自分で文献調査なり先輩隊員への聞き取り調査なりを踏むことができるのでそこまで心配する必要はありませんでした。

 

問題

1.あなたが第1志望に挙げた、任国からの要望調査票に記載されている活動に対して、あなたは どのような取り組みをしたいと思うか、具体的に記しなさい。

 

2. 熱帯・亜熱帯において持続的な野菜栽培を展開するには、主にどのような点に注意すべきか、具体的に述べなさい。

 

3.熱帯・亜熱帯において野菜の有機栽培を行う場合、その可能性および問題点(難しさ)について 具体的に述べなさい。

 

4.用語説明(バイオマス・春化現象)

 

 

専門分野でかなり現実的な問題ですので、インターネットで調べるには限界があります

そこで僕がとった対処法は主に、

 

他大学で公開している授業内容の参照、

その分野での知識人・協力隊経験者への聞き取り

でした。

 

それらから集めた情報を元に自分の活動内容をイメージしてみてください。

ここで忘れてはいけないのが、任地での活動は日本での活動と全く異なるものであり、日本国内にいる自分たちには90%以上が未知要素でできていることです。

自分が今日本で考えていることが確実なんだという気持ちは文面に出さず、あくまでも実現可能性があるだけであって、今思いつく中でのベストなんだというスタンスがいいと思います。

現地でのニーズや状況の変化に柔軟に対応可能な適応力もしっかり伝えることが大事です。そしてこれは面接でもかなり突っ込まれたことでした。

 

以上です。
青年海外協力隊を目指す同年代、または後輩の皆さんに少しでも参考になれば幸いです。また思いつき次第更新していこうと思います。

にほんブログ村 海外生活ブログ 青年海外協力隊へ
にほんブログ村

にほんブログ村 大学生日記ブログへ
にほんブログ村

東南アジアを旅して人生少し変わりましたって話です。

僕にとって最長になった旅の中の一部の話。

 

大学2年から3年に上がる春休みの2月後半から4月の頭まで、東南アジアをめぐる一人旅に出た。

簡単に先に言ってしまえば、この旅を通して、

自分の生きる目的が少しだけ変化した。

 

将来は国際協力の分野に進み、食糧不足に苦しむ人々を「助けてあげたい」と考えながら大学生になったわけだが、それがこの旅を通して少しだけ変わった。

その後、他の活動を通してその変化に自信を持つようになったが、最初のきっかけはこの旅にあった。

自分の対相手目線が変わり、考えるスタンスが変わったのだ。

 

僕らは彼らに与える立場でもあるが、彼らに学ぶことが計り知れない

 

 

さて、旅先それぞれの地でディープな経験をしたわけだが、今回はその全貌を簡単に紹介して、インパクトを与えられたフィリピンでのことを書きたい。

 (旅の話はまた改めて書こうと思う。)

 

ざっくりとしたこの旅の行程は以下の通り。

 

●日本

山梨県

↓🚗(ヒッチハイク

関西空港

↓✈️

●フィリピン

ルソン島

↓✈️

セブ島

↓✈️

ルソン島

↓✈️

●タイ

プーケット周辺

↓🚌

バンコク

↓🚃

アユタヤ・チェンマイ

↓🚃

バンコク

↓✈️

ベトナム

ホーチミン

↓🚌

カンボジア

シェムリアップ

↓🚌

●タイ

バンコク

↓✈️

福岡空港

↓🚗(ヒッチハイク

山梨の実家

 

f:id:yaseiyasaidanji:20161129151529j:plain

山梨県を出発してすぐ、荷物が重すぎたことに気づく。旅先で何度も服を捨てようと思ったが、全て持ち歩くことにした。ここには旅先でお世話になる人へのお土産、カンボジアの小学校に届ける鉛筆、料理する乾麺も入っていた。)

 

 

当時、旅を終えた感想が書かれている。
今読み返すと今日までの自分に鞭を打ってやりたいと思うが、当時思い描いた方向に少しは進んでいる気がするのも事実。

www.facebook.com

 

 

 

フィリピンで見つけたこと

 

人と自然が作り出す造形と、心底明るい人々

 

フィリピンに滞在した期間、基本的に知人の家に滞在させてもらった。

お母さんは毎日薪で絶品を作ってくれた。

f:id:yaseiyasaidanji:20161130185237j:plain

 

主な行き先はルソン島タガイタイバギオバナウエの棚田と、マニラ近郊、そして友人が留学していたセブ島

 

知人の家に滞在し、現地に留学している親しい友人を訪ねるというスタートは、思い切った一人旅の出だしとして最適だった。

 

f:id:yaseiyasaidanji:20161130184158j:plain

(フィリピン留学後初のフィリピン観光地はタガイタイ。旅をする自分の存在の小ささを感じたなあ)

 

中でもバナウエの景色は、今までにない感動を与えてくれた。

f:id:yaseiyasaidanji:20161130185048j:plain

ただ棚田が美しかったのではない。

観光地化している棚田の脇には、ひたすら田植え作業に励む小さな子供と女性たち、人間と共存している牛の日常があった。

f:id:yaseiyasaidanji:20161130185651j:plain

(小さい子供が手植えで田植えをしている。この子供が家族の生業として手伝わされてているのか、この地域の景観を保全するために働いているのかは定かではない。こんな光景を見ると、昔自分が友達と遊ぶ時間を返上してやらされていた頃を思い出し、こみ上げる思いがいつもある。今となっては日本国内でこの光景を見ることも少ない。)

 

f:id:yaseiyasaidanji:20161130185645j:plain

 

小高い丘から見下ろすと、この村のコミュニティは山に閉ざされ、地域で完結している東南アジア独特の雰囲気があった。僕の東南アジアのコミュニティや伝統農業への強い好奇心が心に芽生えたのはこの瞬間だったと思う。

f:id:yaseiyasaidanji:20161124092850j:plain

 

 今後学び続けたいこと

 

東南アジアと一口にいっても、その自然環境はとても多様性に満ちている。鬱蒼とした世界に誇る熱帯雨林もある。産業や貿易が繁栄を遂げ、近代化の波に呑まれるデルタ地帯もあれば、グローバル化のグの字も感じさせない山岳地帯もある。島嶼部の小さな漁村もある反面、広大な沖積平野を有している地域もある。

 

自然環境が多様であれば、当然人間と自然の有機的環境である風土も様々だ。そこには人間の生き方が今も昔も変わらない地域だって数多く存在する。

 

僕ら(先進国と言われる国に住む人々)の生活ぶりや暮らしの中での理想・追い求める豊かさの定義は多様化し、その共通解は誰にもない。

 

人間一人の一生という短い時間の中でさえ、我々の生活を取り巻く環境の物質的な発展は目覚しい。たくさんのモノがある。お金を出せばモノは何でも手に入る。 

大きな経済システムの中で、自分がそのどの位置を占めているのか知らぬ間に人生を磨耗する人が大半だ。

 

その一方で、人が大昔に住み始めて以来、生活に変化がない地域が東南アジアにはある。先進国の植民地時代を経て、先進国向けのプランテーション農業が環境を大きく変えて来たとはいえ、気候変動が人々の生活を直接脅かし始めたとはいえ、まだ昔ながらの地域は存在する。

 

そこには自然との共存があり、隣人愛があり、人間らしい明るさがある。

 

僕は、そんな定説のようなことを、この旅からなんとなく肌で感じとり、同時に漠然と違和感を覚えた。

 

「先進国の人と途上国の人のどちらが幸せなのか」

という問いには答えを持ち合わせていない。

 しかし、二元論に答えを求めるのではなく、どちらにも良さがあるという前提の上、これからの社会が向かうべき方向はなんなのか考えたい。

 

それを学ぶために大学院に行くつもりだし、それを学び考え続けるために生きたいと思う。

 

 僕にとっては、そのための国際協力につながれば理想的だ。その第一歩が青年海外協力隊での活動になればいいと思っている。

 

 

 

にほんブログ村 海外生活ブログ フィリピン情報へ
にほんブログ村にほんブログ村 大学生日記ブログ 大学4年生へ

青年海外協力隊を目指す学生の皆さんへ①

現在大学生の方、または新卒で青年海外協力隊を目指す皆さん

今回は、大学生活を送る中で協力隊員になるために僕自身が実際に、これは活きた、重要だと感じたことを書きます。

(志願書の書き方や面接対策等は後ほど改めてまとめようと思います。)

 

これは、僕自身の個人的な見解であること

協力隊になるための、つまり単に採用側からのウケをよくし、

その試験をパスすることに重きを置いた視点から書くことに注意してください。

 

逆に捉えると、そうです。志願者の素質に左右されることなく誰にでもチャンスはあるということです

「一度は青年海外協力隊に憧れたけど、、、」そう思っているあなたに向けて、一歩を踏み出すきっかけになることを願っています。

 

以前の記事にも書きましたが、協力隊員になる年齢層は20代後半〜30代がほとんどです。考え方によってはこの現状でしかるべきなのかもしれませんが(知恵や経験量が豊富だから)、学生または卒業したばかりの私たちにしかできないこともあるはずです。学生の強みは何か、そこに対策の重きをおくべきです。

 

yaseiyasaidanji.hatenablog.com

 

 

 

1.最重要項目は健康状態

 

これは学生問わず誰しもに言えることです。そんなの当たり前のことだろと思うかもしれませんが、事前に提出する健康診断の結果でつまずく志願者は意外と多いです。そして、ここで問題がある場合、短期間では対策のしようもありません。

考えてみれば当たり前のことです。日本国内よりはるかに過酷な環境下で、精神的にも肉体的にも大きな負担のかかる2年間を過ごさなければいけないのです。海外でボランティアをするより自分の体調管理に時間やエネルギーを割く訳にはいきませんよね。日本政府もそんな人に莫大な税金を投じるわけにいきません。

 

僕が面接を受けた際、面接会場で200名を超える志願者に、JOCA(青年海外協力協会:協力隊関連の事務を担っている)のスタッフの方が言っていました。

「前回隊員のうち10数名は訓練の途中で辞退していただきました。健康状態に問題があったことや、虚偽の申告をしていたためです。」

 

そして、僕の大学の博士課程を卒業する先輩も、心電図で不整脈が見られたため落選しました。彼は、高校時代陸上部で短距離を走り、今でも昼休みにサッカーをすると誰も追いつけないほどの体力を持った人です。博士号を取得(予定)し国家公務員試験をパスし、英語もスペイン語も堪能なのにもかかわらず、日常生活に何の支障もない病気で落ちました。

協力隊への志願を考えている方々には、

なるべく早い段階で健康診断を受診することを強くお勧めします

 問題が見つかった場合、出願の前に治療が始められるからです。

実は僕も、心電図で不整脈の中の徐脈という症状が直前で見つかりました。医者には問題ないだろうと言われましたが、証明書の心電図結果は正常ではなかったので、結果が届くまでハラハラしていました。

 

 

2.熱意と志願動機の伝え方を考え、差別化を図る

 

合格するための視点で言うなれば、

伝わるための材料集めをどう学生のうちにするかです。

この点で学生の強みを存分に発揮できると思います。社会で現役で働かれている方々に比べ、使える時間がかなりあるからです。

すぐ思いつく時間の使い方は、英語留学、TOEIC(またはTOEFL) の点数を上げること、スタディツアーに参加して途上国を実際に見ること、などかもしれません。

もちろんこれらの活動はプラスになるでしょう。志願書に記載して悪い印象は与えないと思います。

 

しかし、まず言えるだろうこととして、

特別に高度な英語力を必要とする案件以外(必要な英語レベルは要請ごとに書かれている)、英語力はさほど選考基準に関係ないことがあります。

協力隊員=英語力が必要である」という考え方からは早めに脱却することをお勧めします。そこに時間をかけるなら、他のプラスαで自分のオリジナリティを伸ばし、強みをつけるべきです。

僕の周りにはTOEIC200点台で合格した人も普通にいます。

 

英語力が必要ないと説く理由としては、

第一に、赴任地が英語圏とは限らない、むしろ英語圏ではない国に派遣されるケースが多いからです。

f:id:yaseiyasaidanji:20161125224723p:image

https://ja.m.wikipedia.org/wiki/:英語を公用語としている国の一覧

アジアもラテンアメリカも基本的には英語ではありません。アフリカでも一部の国です。英語が話せるよりは、フランス語やスペイン語ポルトガル語を使える方がむしろ今後の国際協力の市場を考えた時アドバンテージになることが多いのではと思います。英語は確かに世界でオフィシャルな言語ですが、協力隊の活動場所は世界標準の行き届かぬ地域がメインになります。英語力がさほど必要ないのはこの点によります。

しかし、現地語を現地でどうやって学ぶか、それは確かに英語が話せる上で成り立つとは言えるかもしれません。

 僕はフィリピン隊員になるのですが、現地語でコミュニケーションをとることになると、既に先輩隊員に言われています。フィリピンでは、英語が公用語になっているにもかかわらずです。

 

第二の理由として、70日間の派遣前訓練があるためです。JICA側はこの訓練で全隊員にある程度の語学力を身に付けさせられると強気です。この協力隊の訓練は、日本最強の語学学校とも言われています。まだ訓練所に入っていない僕が聞く話ですが、ここでだいたい基本的な語学力がほぼ全ての隊員に備わるようです。

と考えれば、英語力は最低限中学英語が読める程度で問題なく、それ以外のプラスαは何か、それを考える方が妥当な選択でしょう。自分の差別化のために時間を使うといいと思います。

 

 

国際協力への意欲を示す材料を集める

先ほど触れたように、

学生の強みは、意欲を示すための具体的なアクションを起こすだけの時間があることにあります。それが何なのかという具体的な答えはありません。

国際協力NGOインターンをすることかもしれません。途上国を自分で旅することかもしれません。または、海外に出るのを見越し自分の専門を磨くことかもしれません。学生向けのJICAのプログラムやスタディツアーに参加するもいいでしょう。

大事なのは、

自分で、オリジナリティを求め、それを深め、具体的な活動として示すことです。スタンダードを求めると、実務経験のない学生は、同じ土俵で選抜されるスキルや知恵に富む社会人に埋もれてしまい、選考を突破するのは難しくなると思います。

 

僕の場合は、JICAの学生向けプログラムへの参加、農業経験の蓄積、東南アジア一人旅などがそれに当たり、面接でも志願書類作成の際にも大変有益でした。

面接当日、面接官に

「あなたはどの程度農作業に携わっているんですか?」と聞かれ、

「3日前には田んぼの草取りをし、今はこのスーツの下は虫刺されで実はすごく痒いんです」

と答えた時、インパクトを与えた印象がありました。

話は逸れますが、これは大学院の入試にも活きました。

同じように学部4年生で合格した女性の友人も、暇があれば中東やアジアを1人で歩き、JICAのプログラムに参加し、大学では自分で新しい国際交流団体を創設など、プラスαの経験を積むことに貪欲な印象でした。

f:id:yaseiyasaidanji:20161125231729j:imagef:id:yaseiyasaidanji:20161125231817j:image

(『大学生国際協力フィールドスタディプログラム』でインドへ2週間行った時)

 

 

3.自分の分野選びは事前にしておく

 

一般的には、

①協力隊に行きたい→

②自分の出願できる分野を探す→

③案件選びをする

の流れになります。

この②と③のステップはほぼ同時に踏むことになりますが、重要なのは、②へ移るタイミングです。

協力隊に興味を持ったのなら、すぐに前回の募集に、どんな分野でどんな案件があったのか調べてみることが重要です。

そして、自分の行ける案件を探すのではなく、自分が行きたい案件を探すことで、出願準備に踏み出すためのモチベーションの向上と、具体的なアプローチの仕方(野菜栽培の経験を踏むべきなのか、パソコンの資格を取るべきなのか、写真の勉強をするべきなのか、それとも語学をやるべきなのかなど)が明確になります。

そして、自分の行きたい分野や国の先輩隊員のブログや書いた報告書などを参考にするのもお勧めです。僕はネットで検索しヒットした先輩隊員にfacebookで直接コンタクトを取り、事前の準備などの相談に乗っていただきました。僕の分野には出願の際に課題が課されていたので現地の活動を終えた先輩が実際にどんな状況に置かれたのかを聞くことは、かなり参考になりました。まだ一度もお会いしたことがありませんが、優しくアドバイスをしてくれました。協力隊のOVの皆さんはきっと、喜んで後輩隊員のサポートをしてくれると思います。

 

 

 

学部時代の「旅」から僕が得たもの

 

僕は「旅」が好きだ。

電車や車を使って旅行することも好きだが、ここでは、未開の地新しいワクワクすること興奮を求めて、1人または少人数でする旅行を「旅」としたい。

 

この「旅」に魅せられて、僕の大学生活はがらりと変わった。来年から青年海外協力隊に行くことも、大学院で東南アジアの地域研究を専攻すると決めたことも、実は学部時代にした「旅」の影響を受けてのことだ。

 

青年海外協力隊の赴任国フィリピンは、実は僕にとって初めての海外であり、同時に初めて1人でバックパッカーとして歩いた国でもある。4回訪れたフィリピンは、自分にとって第二のhome country に当たる、特別な思い入れのある国。僕が青年海外協力隊の願書を取り寄せ、その要請の中に、受入れ国フィリピン、しかも有機栽培隊員の募集があったことも、運命だった。

 

大学1年のフィリピン留学がきっかけに

1年の夏休み、自分の英語力不足に愕然とし、春休みにフィリピン留学することを決めた。それが自分にとっての初海外になった。今となってはフィリピン留学もすっかり学生の間で一定の評価を集め、ポピュラーになりつつある。が、当時、自分の身近でフィリピン留学を経験している人は先輩に1人だけだった。フィリピンの留学ライフについても改めて書いてみてもいいかもしれない。どの学生にもオススメできる、自分にとっては貴重な経験となった。

 f:id:yaseiyasaidanji:20161124090846j:image

 

その留学の間にもっと東南アジアの地域を自分の足で歩きたい、現地人と触れ合いたい、独特な匂いを嗅ぎたい、生の人間の姿を見たいと思い立ち、2年の夏休みには単身でフィリピンにもう一度飛んだ。これが初めての自分にとっての「旅」だ。

 

この旅から帰国した後、なかなか興奮を抑えることができなかったのを覚えている。同じ大学の友人にも共有できる仲間がいなかったし、達成感からくる満足感は、次の旅への願望を招いた。

f:id:yaseiyasaidanji:20161124092150j:image

そこで、当時同じように海外を歩いていた同じ学部の知り合い(当時は話したこともないくらいだったただの知り合い)に声をかけ、大学で旅に出るきっかけになる場、そして、自分のした旅を互いに共有できる場を作るべく、旅サークルを作った。

(旅サークルのtwitterアカウント@ittekoushi)

 

今の学生は、機会に恵まれている。一ヶ月のアルバイトと決断一つで地球の裏側にも行ける。古い言葉になりつつあったバックパッカー”は、ブーム再燃の兆しにある。ヒッチハイカーも時々見かけるようになった。平和で豊かな国日本に生まれたことによる恩恵の一つだろう。

 

 

旅から得られるものとは

 

当然のことかもしれないが、旅一つ一つから得られるものは違うし、同じような旅をしても、する人によって感じ方は異なる

 一つの旅は、その人の、その時の旅でしかない。

 

「僕が」してきた旅から得たものは以下の通りだ。

 

 

●なんでもチャレンジしてみようというメンタル面での強さ

 

旅は、自分を追い込む機会の提供を可能とする。

旅先での目的地、生活リズムのマネジメント、お金の用途、人との交渉や情報収集方法、1日の移動手段と距離、その他もろもろ全てが自己決定の上にある。面倒に感じたら1日ゲストハウスで寝ててもいいし、英語を使わなくてもいい。夜行バスや寝台列車に乗って遠距離移動もする必要もない。

やってみたいことをするかしないかは、そのときの自分だけに委ねられている

そして、一つ恐る恐るやってみると、(行ってみると)、そこからまた行動の選択肢は広がる。自信がつき、次はそのときとったリスクがもうリスクではなくなる。楽しみになる。

正直、旅をしていると恐怖心を抱くことも少なくない。だが、旅人は、それを乗り越えなければワクワクすることにたどり着けない!と考える。繰り返すことで、旅以外でも、自然と自分のやってみたいことにトライするメンタル的な強さが身につくのだと思う。

 f:id:yaseiyasaidanji:20161124092225j:image

 

 

自分の目で見た確信のもてる真実と自信

 

文献や他人の口から発せられた情報は、あくまでも参考程度にしかならない情報、介する人のバイアスがかならずかかっている。

それに対し、旅で自分が見たこと感じたことは、紛れも無い事実だ。それが、俯瞰的に見たとき、例え特殊な少数派に属する事実であっても、自分にとってはフレッシュな事実になる。自分が得たい情報しか入ってこないという難点はあるが、その事実を他人が否定することはできない。

 

例えば、僕はフィリピンに行ったとき、世界遺産に指定されている棚田を見た。僕の関心ごとはそこにいる人の生き様であり、村というコミュニティであったので、その地域の農業から見た持続可能性にとても興味を惹かれた。一緒にもし、人文系に興味がある人と共に旅をしていたら、地域の民族や文化に興味をもったかもしれない。僕にとってはそこで目にした風景が、協力隊への志願や大学院での専攻選びに影響した。

このことは日本国内でも同様だろう。

 

f:id:yaseiyasaidanji:20161124092254j:imagef:id:yaseiyasaidanji:20161124092850j:image

 

 

●自分だけの人生のネタ

 

僕みたいにこれといった特技もなければ、人とコミュニケーションをとるとき、定番の話題を持ち合わせない人にとって、旅は絶好の話題のネタだ。なぜなら、その一つの旅は世界でオンリーワンだからだ。そして、旅をしていると自分が嘘偽りのない純粋なストーリーの主人公になる。例え同じ国、同じ都道府県をめぐる旅であっても、人や時期が違えばそれは紛れもなくたった一つの、その人だけの旅だ。 

 

 

●新しい価値観と新しい自分

旅の中で、自分と向き合う時間は異常に長い。ヒッチハイクしているときも、電車やバスで移動しているときも、夜寝床につくときも、または飛行機に乗っているときや食事をするときもそう。

基本的に、旅の間の話し相手は自分だ

そのとき、ふと、「自分はこんなものに興味があるのか」「これを楽しいと感じるのか」「自分が感動する景色はこういうものなのか」と気がつく。

 

それは、旅の間、全身の感性が研ぎ澄まされることで可能になる。日常的に感受性豊かにと心がけることも大切だが、旅の間は無意識に、無理することなくそういう状態になる。その状態での吸収capacityは半端ない。

 

そして、研ぎ澄まされた感性に新たな価値観は大きく影響を及ぼすことは、読者の皆さんも容易に想像できるかもしれない。見るもの聞くこと出会う人、それが全てそのときは特別なものに思えるのだ。

 f:id:yaseiyasaidanji:20161124094052j:image

 

 

●人との出会い

 

これは自信を持って言えることだが、

旅好きな人には変人が多い

バイタリティあふれ、活発でリスクが好物だという連中ばかりだ。その人たちは、自分というものをすごく大切にするし、自分の生き方にこだわる。

端的に言って、かっこいい人が多いのだ。

 

一緒に大学で旅サークルを作ろうと奮闘した仲間は今、甲府市内で初めて、学生が運営する居酒屋を0からつくろうとしている。

 

共に旅をした仲間は、世界一周・日本縦断・中東紙芝居の旅を終え、世界の魅力を伝えようと奮闘中だ。

 

(ぜひここまで読んでくれた方には

Twitterアカウント@heizejun

を応援してくれると嬉しい。)

f:id:yaseiyasaidanji:20161124093155j:image

 

旅人にとって、活動のフィールドはグローバルで、やりたいことをやることが当たり前だ。貪欲になんでも取り組む生き方はなかなかできない。だから、彼らはかっこいい。

 

旅先での出会いは、旅人だけではない。

日常生活をただ送っているだけでは一生巡り会えないだろう人と出会うのだ。普段の活動をしていると、時々旅先で出会った彼ら彼女らの顔を思い出す。

 

重ねるが、旅はいい。

 

 

 

学部卒の僕が青年海外協力隊を目指した本当の理由

 

僕は、学部卒で他の就職活動を全くせずに、青年海外協力隊になることを目指した。

そして来年、23歳でフィリピンに派遣される。

 

青年海外協力隊事業とは、ODA予算により独立行政法人国際協力機構(JICA)が実施する事業である。

先日、「アジアのノーベル賞」と言われるマグサイサイ賞青年海外協力隊が受賞し、大きなニュースになった。

 

青年海外協力隊事業の目的は大きく3つあるらしい。

 

  (1)開発途上国の経済・社会の発展、復興への寄与
(2)友好親善・相互理解の深化
(3)国際的視野の涵養とボランティア経験の社会還元

詳しくはリンク先を見て欲しい。

JICAボランティアの事業概要 | JICAボランティア

 

この事業は対象年齢が20歳から39歳であるにもかかわらず、

参加者の多くは20代後半から30代である

帰国者の概要【企業・団体】 | JICAボランティア

 

稀に大学を休学して派遣される隊員もいるが、基本的には社会で実務経験を積んでから協力隊になる人が多い。参加者の志願動機も本当に様々で、海外に住みたい、自分探しをしたい、偶然募集の広告を見た、そのような理由から志願する人も多いようだ。
さらに、職種によっては実務経験の有無を問われる項目もある。

 

一人の派遣に数千万円の税金が投じられ、国際ボランティアを目的に開発途上国に赴任するオフィシャルな職員なのだから、協力隊になるために経験量や知識量は持っていて持ちすぎることはないだろう。

 

日本人もいない未知の地に一人で行き、そこで何ができるか。その人のこれまでの経験と知恵にかかっているといっても過言ではないだろう。

さらに、現地での立ち居振る舞いや活動によっては、日本の信用に関わるといってもいい。

しかし、上記の目的の(3)を満たしやすいのは、より若い世代だと僕は思っている。

 実務経験がない分、社会への還元の仕方は多様で柔軟になると思うからだ。

 

では何故、22歳の自分が青年海外協力隊を目指したか。

 

その理由はたくさんあるが、ここでは2つあげよう。

 

 

1.国際協力の道に進むことを高校時代から志してきた

 

 

僕は、今後国際協力の道に進みたいと考えている。

これまで、国際協力といえばJICAか国連職員かNGOか、という考え方に縛られてきた。

今でもこの考え方は若い世代に一般的かもしれない。

 

しかし、今現実の社会の中で、どこの道に進むにしても必ず大きな葛藤がついてくるし、やりたいことだけをやるということは不可能だ 

 

それをいわば国際協力という専門分野の中から考え直す期間を設けたかったのだ。青年海外協力隊には、日本国家という後ろ盾があり、守られた環境の中で活動できる。その中で比較的自由度が高い。日本国内での国際協力へのきっかけとしては、恵まれた(恵まれすぎた)制度であることに間違いない。

さらに、協力隊生活の中でネットワークが世界中に広がる。自分の活動と同時に、地球の裏側では同期が奮闘しているのだ。先輩隊員も50年前の世代まで日本中にいる。

 

国際協力への関わり方を考え直し、次の行動に移すための期間としてこの2年間を使おう

 

そう考えた。

 

 

  2. 大学院で自分の専門分野を深めたい 

 

幸か不幸か、僕は大学の入学試験に失敗し、当初の希望とは異なる大学で、異なる学問をしている。3年が経過し、卒業間近になっても最終的にやりたい学問に変化はなかった。

具体的にいうと、僕は大学では実学としての農学を学びたかったのだが、今は環境科学を専攻している。今の大学に入学するときには、大学院で専攻を変えることを考えていた。

当時は、まず広く農業のバックグラウンドである環境を体系的に学び、それから自分の専門を狭めていこう。それに実家から通える分、金銭的、時間的余剰は他の諸活動に回そうと前向きに捉えることにした。

 

結果的に、農業と環境には密接な関わりがあるので、学部で学んできたことはこれから先も役立つだろうと考えている。現に大学院の試験勉強には大いに役立った。

 

青年海外協力隊事業は、自分の専門性を深める機会になる

 

しかし、大学院から専攻を変えることは容易ではない。 

やる気と気概がある人にとって、自分の専攻の勉強にプラスαで興味のある分野を独学することは簡単なことかもしれないが、僕にはできなかった。

よって、大学院で何を学びたいか、そもそもそれを考えることに限界があった。

関心ごとはあるのに、専攻が違いすぎて具体的な研究テーマがわからないという事態に。
そこで協力隊の大先輩に頂いたアドバイス、

 

「協力隊に行って研究テーマを持ち帰ってくるのはどうか」

その言葉に傾くことになった。

f:id:yaseiyasaidanji:20161101172945j:plain

(写真は、ラオス稲作隊員を経て海外の大学院に進学し、国際協力の分野を退いた今は専業有機農家をされているIさんとその奥様)

 

僕は大学院で、東南アジアの地域を環境生態学的に研究する。僕の視点では、現地の伝統的有機農業がキーワード。学部で他分野を専攻した僕には、ここまでテーマを決めることが精一杯で、それ以上深めるためにはさらなる調査が必要だ。
しかし、協力隊に行っている間は、

 

自分の関心のあるテーマを、より本場に近い場所で、見つめる時間がある

 

 

青年海外協力隊事業の問題点、懸念点として大きいのは、

その後の進路が不透明なことにある。

 

帰国者の中には、行く当てがないから、後発的に大学院に進学するというアイディアが浮かびその後国内外の大学院に進学する人も多い。しかし、出国前に進学することを念頭に、現地で自分の視点で研究しながら活動することができるのも、学部卒の協力隊員だからできることではないだろうか。

 

さらに、協力隊には少額だが手当が支給される。節約すれば年間100万円以上の貯蓄が可能だ。僕のような貧乏学生にとって、大学院での研究テーマを考えながら、調査を行え、しかも学費に当てられる資金が貯められるということは非常にありがたいことではないだろうか。