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今日は残りの人生の最初の日

大学院生 兼 青年海外協力隊29年度2次隊。フィリピンへ。人生ネタを書きます。

世界幸福度ランキング3位のフィリピンの田舎から考えるこの国の幸せの原点

調べ出したら少し長くなってしまった。

なんと3ヶ月ぶりの更新だ。

出国する際には、なんとか活動の傍ら発信を継続していこうと考えていたが、全く追いついていない。

 

今回は、2017年末に発表された世界幸福度調査2018において、上位3位にランクインしたフィリピンで、当国田舎生活4ヶ月を通して感じたことを元に、フィリピン人がなぜ幸せなのか、幸せの原点について簡単に考えてみたい。

 フィリピンから見出すその答えは、ズバリ、宗教的習慣に深く関係する「家族」「食」にあり、それが順接的に「人との繋がり」を創出した結果にある気がしている。

※あくまでも私個人が、生活圏内で肌感覚で感じたことであって、普遍的な分析では全くない。

 

 

まず簡単に幸福度の定義をまとめてみた。 

実は、「幸福度」を示すための指標はいくつもある。

 

たくさんの指標があることからもわかるように、「〇〇の国の人が最も幸せだ」と明言することは最初からできないし、個人的には〇〇の国の方が△△国よりも幸福だ!というのもナンセンスだと思っている

「〜〜に関しては」と基準を定めてあげるべきである。

例えば、長寿が幸せの基準だろ!と考えるなら、日本はフィリピンよりも幸せな国になる。

 

 

だから私はこのフィリピンの幸せについてここで考えるのであって、

日本にも少なからず共通する部分はもちろんあるだろうが、尺度を超えて比較しようとはしていない。

それはそれぞれ個人が考えればいいと思っている。

 

幸福度の尺度(指標)って?

「幸福」を示す指標は何種類もある

①世界60カ国以上にその関係者をもつ研究者組織ギャラップ・インターナショナル(+WIN)による調査ー純粋幸福度ー 

今回フィリピンが3位に入った調査は、毎年末にGallup International Association(+WIN)によって発表される、「純粋幸福度」と呼ばれるもの。

それぞれの調査機関リンクはこちら↓

Gallup International Association

About us - Gallup International

Worldwide Independent Network of Market Research and Opinion Poll

Win

 

 

世界幸福度2018では、全世界55カ国から約1,000人のサンプルを抽出し、計53,000人以上に対して電話・オンライン・直接インタビューによる聞き取り調査が実施された。

数字の出し方は、

 

「純粋幸福度」=

「幸せと感じている人の割合(%)」ー「不幸と感じている人の割合(%)」

 

と、いたって単純。

この指標は主観的な捉え方に依っていて、サンプル(国・個人)の性格や価値観が値に大きく反映する。

 

また、

例えば、「(すごく)幸せ」と感じる人が50%、「普通」と感じる人が50%だと、純粋幸福度は50%で、全体で「幸せと感じている人の割合=純粋幸福度」になるが、

そこに「不幸」と感じる人が10%いると、純粋幸福度は40%に減少する。

「幸せと感じる人の人数」=「不幸と感じる人の人数」だと、純粋幸福度は0になってしまう。

このように、同じ国民が似通った価値観・性格の持ち主であることに前提を置くと、幸福を示す値は、幸せの差≒格差があればあるほど低くなることが特徴的。

頭に入れた上で各国と比較したい。

 

GIAのHPには調査結果とともに、性別・年齢・収入・教育バックグラウンド別の集計結果が出ている。

 

http://www.gallup-international.com/wp-content/uploads/2017/11/2016_Happiness_Hope_Economic-Optimism-2.pdf

 

 

 

そのほかにも「幸福度」の指標はいくつもある。

 

②国連の世界幸福度調査報告

この指標では、各国の調査サンプルに対して、純粋幸福度と同様に主観的幸福度を聞き取り、そこへ以下の項目からなる説明変数から回帰分析を行い、寄与度を算出して幸福度全体の内訳を発表している。説明変数は以下の6項目で成るようだ。

 

・人口当たりGDP

・社会的支援

健康寿命

・人生の選択の自由度

・寛容さ(過去のチャリティへの寄付経験等から算出)

・政府の腐敗への認識

 

以上からわかる通り、幸福の捉え方がかなり欧米的で社会全体としての成熟度から幸福を考えている。このため、毎年上位には社会保障制度が進んでいる欧州が並ぶことになる。

 

詳細な結果は(英語表記だが)こちらにアップされている。

https://s3.amazonaws.com/happiness-report/2018/WHR_web.pdf

 

 

③地球幸福度指数(HPI

人間の豊かさは、金銭的な過去の発展度合いではなく、将来を見据えた環境との持続可能性の上に表される概念であるとして、イギリスの環境保護団体 Friends of the Earth が2006年に発表した新たな指標だ。関係因子は以下の項目と、これもまた主観的幸福度から成る。

 

・平均寿命

・健康指標

・健康格差

・※エコロジカル・フットプリント(環境負荷を許容するために必要な土地面積+すい面積)

 Wikipediaに十分な情報が載っていた。

地球幸福度指数 - Wikipedia

 

 

国民総幸福量(GNH)ーおまけー

「幸せな国ブータン」はこの尺度で語られる(世界で公式にこの指標を採用しているのはブータンのみ)。1972年当事国王ジグミ・シンゲ・ワンチュクによって導入。調査されてからGNHの最大化を政策の中心に置いてきた。これは、経済成長を重視する姿勢を批判したもので、仏教の価値観から伝統的な社会・文化を重んじることこそが国民の幸福の実現に直結するものとしている点が特徴的。

 

2年ごとに、一人当たり5時間の調査時間を割き聞き取りを行う。 2005年にはの

 しかし、この尺度は非科学的でありブータンマーケティング戦略に過ぎないと言う批判の声も多く耳にする。

 GNHの4つの柱

・公正で公平な社会経済の発達

・文化的・精神的な遺産の保存・促進

環境保護

・しっかりとした統治

(引用:ブータン観光局 国民総幸福量 | ブータン政府観光局 公式サイト

 

 それぞれの指標でのフィリピンと日本の比較のまとめ

  

私はこの長い前置きで、「幸福」 は基準がなければ測れない。それは幸せの捉え方は人それぞれであるからだ。だから逆に言うと、幸せを比較することそのものに意味はないということになる。

 

それぞれの尺度の背景にはそれを提唱した国々の思惑が隠れているとも言える。「ブータンは幸せな国なんだ」と言う前にまず、それを疑いの目で見、それぞれの尺度との違いを一度考えてみることが必要かもしれない。

 

それぞれの最新幸福度で日本とフィリピンの順位をまとめてみるとこうなる。

      フィリピン       日本
①純粋幸福度(2018)     3(84%)   18(53%)
②国連世界幸福度調査(2018)                             71       54
③地球幸福度指数(2016)       20       58

 

経年でその変化を見てみるとまた面白そうだ。

 

このように、

①純粋幸福度はフィリピンと日本で30ポイントもの差がある。その差は顕著だ。

私としては②世界幸福度調査による日本の順位が意外に低いことに少し驚いた。平均寿命は韓国に次いで世界トップ2だし、人口当たりの名目GDPも世界トップ20の位置にあるのに、「寛容さ」、「人生の選択の自由度」、「社会保障」などを加味すると日本は先進国最低レベルになる。

③地球幸福度指数の上位には毎年中南米、東南アジアが並ぶ。それを追ってヨーロッパ、アジアという感じだ。

 

【本題】フィリピン人から学ぶ「幸せ」の原点

 さて、、、前置きが長くなってしまった。

今回のこの記事を書こうと思ったきっかけはこれ以降にある。

 

幸せの原点①全ては家族のために、家族が幸せなら自分も幸せ

 フィリピンの文化を一言で表すと ”Family Oriented(家族的、家庭的)” だと言われる。こどもは幼いうちから"Blood is thicker than water"と教育を受ける。まず何よりも家族を優先し、家族のために尽くすべき、という教えだ。この教えは大人になってからもしっかり守る。

これはもともとスペイン植民地時代に持ち込まれた階級的社会の中で生まれた団結の意識に帰すると聞いたことがあるが、なんともわからない。

 

宗教的にも「家族」は極めて重要な意味を持つ。人口の8割以上をカトリック教徒が占めるここフィリピンは大家族主義

 

任地で活動していても、誰と誰が親族に当たるのか、記憶しきれない。田舎によってはコミュニティ内ほぼ一族だというケースもある。

 

余談だが、

昨年のクリスマスは、同僚宅のクリスマス会に招待された。

ホームパーティレベルかと思って軽い気持ちで参加してみると、なんとそこには100名以上の人が集まり(もちろん町外からも来ていたが)、参加者みんな親戚だった。

 

国内では絶大な権力を持つカトリック教会は、人口中絶はもちろん、避妊も認めていない。2012年、「避妊は中絶に等しい」というカトリック教会の主張を押し切って人口抑制法がようやく成立したが、現在も地方においてはそれ以前とあまり大差ないだろうと予想する。避妊は一般的ではなく、7人8人兄弟も普通で、僕が聞いた中では最高で13人兄弟という話もあった。大家族が当たり前なのだ。これが貧困のジレンマを生むとも指摘されている。

 

そんなフィリピンが日本の人口を追い抜くのももう目と鼻の先だ。

 


こうして、フィリピン人の家族の繋がりは自然と強くなる

日本人にとっては遠い親戚(例えば、いとこやはとこの子どもとか)の誕生日会にもしっかり参加し、家のキャパ内で大家族が一堂に会す。

 

名目GDPの1割を担う海外出稼ぎ労働者も、そのほとんどが家族への送金のため。

ある意味、フィリピン人は家族のために、家族を支えるために自分を犠牲にする選択さえ厭わない。

これを裏返すと、家族のために尽くし、喜ばせることは彼らにとっては歓びでもあり、それが普通なのだ。家族の笑顔、それが生きる力にもなっている。

家族の幸せ=自分の幸せであるから、家族のために尽くすことが幸せの原点になる

と言えるだろう。

 

 幸せの原点②食事を通した人との繋がり

スラム地域や極貧家庭を除いて、

フィリピンの田舎で住民と少し生活してみると、 彼らがとにかく食べることに気づくと思う。

元々はスペイン統治時代ののミリエンダ(軽食、おやつの意)文化だったが、独自の進化を遂げている。

 

食事は一日に5回(そのうち2回は間食では?と思うかもしれないが、日本基準で考えると立派な一食分に相当する)。それにプラスして日によって朝のコーヒーとミッドナイトスナック(夜食)を摂る。

職場のオフィスでもこれは変わらない。午前と午後のおやつタイムはしっかり確保されている。私も、オフィスで仕事をしていると「ヒロ、スナック!!」と一日に2度は決まって声をかけられる。

 

そんな彼らの一日の楽しみは、ほぼ間違いなく、「食べること」だろう。

空腹の時ってイライラしますよね。

余計に疲れを感じる。

 

つまり、彼らは空腹によるイライラ、ストレスとは無縁の生活だ。

そして、フィリピン人はシェアの意識が強いので、食べ物を持っているといつも周囲と共有する。共有しようとしないのは、「仲間外れにするよ」というような攻撃的な意味として印象付ける。

こうして、フィリピン人はみんな少しずつお腹が出てくる。

 

食事に関しては色々な習慣があって書ききれないが、いくつか紹介しよう。

 

フィリピンでは誕生日に、友人や職場の同僚に誕生日を迎える当人が食事を振る舞う。

その家庭の金銭的豊かさ、または何歳の誕生日かによって、大小のホームパーティーが開かれ、周辺の人は食事をご馳走になるために集まる。友達の友達など、当人が知らない人も普通にパーティーで食事をご馳走になる。

忙しくて自分で準備する余裕がない場合は、ケータリング サービスを頼んだり、軽食だけ買って来たりして振る舞う。

つまり、30の人付き合いがあれば、一年に約30日は誕生日会に呼ばれることになる。

こうして、毎年食事に呼ばれるのでたいていの人は親しい人の誕生日を記憶している。

 

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 ↑1歳の誕生日会の様子

 

タダ飯が食べられる機会ははこれだけでは無い。

 

 

フィエスもいい例になる。

村では一年に1日フィエスタと呼ばれる、宗教上の祭典がある。

諸々の楽しめる出店が並び、コインや札を賭けたり、ルーレットをしたり、歌ったり、深夜まで踊ったり。

村の規模によってだが、そのフィエスタ1ヶ月から1週間前から毎晩お祭りだ。

このフィエスタの当日は、その村の人が、村外の親しい人を呼んで食事を振る舞う。

 

私の町は山間地域に属しているが、45の村で構成されている。

つまり、誕生日と同様、1年間のうち45日はどこかしらで祭典が開かれ、食事をみんなで楽しむ。しかもその直前は毎晩お祭り騒ぎをしていることになる。

 

 

誕生日会も、フィエスタも、単なる食事の機会という意味を超越している。

 

食事は、ただ食べるということ以上に、人と人がその場を共有している意味合いが強い。我々も、「今度飯行かない?」はほとんどの場合、食べることが目的では無いのと同じだ。

つまり、誘ったり誘われたりする食事の機会を通して、孤立化を無くし、自分もコミュニティに属しているという風に無意識に感じる。

 

フィリピンではBer month(9月から12月)クリスマスシーズンだ。

こう考えると、フィリピンは誰かの誕生日だったり、フィエスタだったり、そのほかのイベントだったりで一年中忙しい。それで話題は尽きない。

 

こうして、

親戚ではなくても地域の人との繋がりは太いものになっていく

 

 

 

まとめ

「幸福」の捉え方は様々だ。

フィリピンで生活しながら、彼らがなぜ「幸せ」と感じるのか考えてみた。

今回はその原点に「家族」と「食事」が見えた。そしてそれらは人との繋がりをつくる。

 

しかし、こうした文化もフィリピンの「発展」、都市化とともに薄れてきている。

マニラのような大都市とこの地方では全く違うだろう。

 

日本でも、最近は価値あるものが変わってきた。

これから、多くの日本人が「幸せ」を考え直すんだと思う。

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職場の様子と最近のこと

職場の様子と最近のことについて

 

配属先に赴任して早くも3週間が過ぎた(本当に時間の流れは目が回るほど早い)。

                                        f:id:yaseiyasaidanji:20171222163342j:plain

                                     (全体の前での自己紹介でクリスマスソングを歌わされている)

 

私のデスクは、「パナイ島」「Antique州」「San Remigio町」の町役場農業事務所にある。

 

                                              f:id:yaseiyasaidanji:20171222162029j:plain 

 

まだ協力隊としての自分の活動という活動は何もできていない。

この一ヶ月は特にガツガツしようという気は初めからなく、

職場の雰囲気やホストファミリーとの生活、フィリピン人との対人関係などに慣れることを念頭に生活してきた。

first impression作りも大事な仕事のうち。

付け加えると、自分の意思とは関係なく、クリスマスムードで仕事どころではないのが実際のところだ。

 

 

日本語でコミュニケーションが取れない、自分の常識を共有できる人がいない、そして気候も全く日本と異なる、

そんな環境で生活することは自分が想像していた以上に体力を消費すると体感している。

 

 

 

今回は、

1.職場の様子と仕事
2.職場で驚いたこと

 

について。

 

 

職場の様子と仕事

 

町役場の正規従業員は100-110名程度。

私の部署は5名の農業技術者(Agricultural Technologist)、2名の非正規雇用(Job Order)、そして私の8名体制。

職場は全体的に女性が多いが、農業事務所の男女比はちょうど半々で、20代から60代までと幅広い年齢層。

来月には非正規雇一人が異動し、一人の職員が退職する予定だが、その代わりに誰か新しく来るのかは未定。・

 

職場の機能としては、

主に上位行政機関と町内農家(全世帯の9割相当)のジョイント機関として、双方への窓口業務と農民への行政業務の執行を担っている。

ちなみに最小行政区としては、日本の村に当たる”バランガイ”がある。

私の町は45のバランガイから構成されている。

 

農家さんからの技術的な相談を受けることも多い。

 

基本的に、日本のお役所と大差はなく(想像だけど)事務仕事が多い。

1日の大部分を書類のチェックや作成に費やしている。

私の所属はこのオフィスになるが、来月からの職場は農場メインになる予定だ。

 

 

典型的な1日の流れは、

 

7:45-8:15 続々と出勤

(出勤時刻にタイムキーパーを更新する必要があるが時間厳守という雰囲気は全くない)

10:00 午前のおやつ

11:30-13:00 昼食

15:00 午後のおやつ

16:30 退勤(時間厳守である)

 

という感じ。

 

1日を通じて、いつでも食べること、携帯をいじること(通話も)、退室することは好きにできる。

雑談は常に絶えず、10畳ほどの職場が静かになることは一刻としてない。

職員同士の会話、来客との会話、他部署職員との会話。

たまに誰かが自分の携帯から音楽や動画を再生する。

とにかくずっと賑やか。

 

 

職員には、

①仕事をよくしている人

②仕事とスマホをいじっている時間が半々の人

③ほとんど仕事をしていないでスマホをいじっている人

の3タイプがいる。

内心どう思っているのかはわからないが、仕事しなくても何も言い合わない。

日本とは全く異なる光景がある。

 

 

 

私は現在デスクにいる間は本当に仕事がないので、今後の計画考案、JICA手続き関係、必要な知識の習得等に時間を充てるようにしている。

このクリスマスのシーズンに色々面倒なお願いを同僚にするのも気がひける。

それ以前に自分に足がないのが大きな制約になっている。

出勤も退勤も他の人のお世話になっているし、自分が担当する農園までは車またはバイクがなければ行けない距離。

JICAからバイクが支給されるのを待っている。

 

私の唯一すでに関わっているプロジェクトは週に一回ある。

毎週水曜日は有機農業のプロジェクトサイトに赴き、農民団体とフィールドワーク、ワークショップを行なっている。

プロジェクトが抱える問題は随所に散見されるが、農民の稲作(有機)農業技術の向上が狙いだ。

 

職場で驚いたこと

・おやつ

・時間と仕事感覚

・環境の不整備

の3点。

もちろん、自分が主体となればどんどん他の部分も見えて来るのだろうが。

 

 

おやつ

特に15時のおやつはもはや”おやつ”のレベルではなく、日本では一食分に相当する量を、しっかりみんなで時間をとって食べる。

外からわざわざ買って来ることもあれば、来室した売人から購入することもある。

食べるものは本当に様々で、バナナに始まるフルーツから、甘いココナッツオイルを使ったもち米のお菓子、ヌードル、ケーキなど。

何をいつ食べるかはほとんど部署のボスの気分。

                                                      f:id:yaseiyasaidanji:20171222163715j:plain

                                                   

                                         (バッチョイと呼ばれるこちらのラーメンのようなもの)

 

話が逸れるが、

このおやつはもともとスペインのミリエンダ文化らしいが、”間食のおやつ”を表す現地語も存在する。

フィリピン人は食べるのが本当に好きだ。

食べるように人から勧められたら、むやみに断っては相手を傷つけかねない。そこには礼儀正しさが求められる。

 

協力隊のフィリピン隊員は一般的に一回り大きくなって帰国することになる。

 

 

 

働く際の時間感覚

出勤時間は厳守ではないが、退勤時間はみんな、遅れたら反省文でも書かされるのかというくらい守る。

16:30には大きい町に下るジプニー(バスのような大きな乗り物)が町役場を出発するし、すぐに入り口も裏口も施錠される。

退勤を知らせるベルが鳴っても少し作業をしていたことがあったのだが、その時は少し強い口調で「家に帰る時間だよ、何やってるの?」

と言われた。

昼食の時間も曖昧。

11:30くらいになると誰かが持って来た弁当を開け始める。

午後の始業時間は何時なのか決まっていない様子。

 

 

21日に職場全体のクリスマスパーティが開催された。

クリスチャンの彼らにとってこのイベントは本当に大切な意味を持ち、イベントは朝のミサに始まる。

午後はビールとご馳走も振舞われ、クリスマスギフトの交換もある。

1日を終えて職場全体の結束が強まったように感じた。

 

               f:id:yaseiyasaidanji:20171222164703j:plain

 

そのプログラムには部署対抗ダンスコンテストが含まれ、それに向けた準備・練習が

一ヶ月くらい前から始まっていた。

練習は毎日午後の数時間。

各部署の出場者ががそれぞれの場所で練習をするため、お互いに他チームの様子を

見ながら刺激し合う一ヶ月だった。

来客があっても構わず練習を続けるくらいの重要度という共通認識がある。

そして練習を終えるとまたスナックをみんなで食べ、その日のお勤めを終える。

 

 

環境の不整備

オフィスに出勤した初日にまず驚いたのは、

電話もネットも通っていないことと、唯一あるデスクトップはウィルスに感染していることだ。

ノートパソコンも2台あるが(私物を共有している)ウィルスに感染している。

誰かがパソコンを使っている間はタイプライターが本領発揮することになる。

                                           f:id:yaseiyasaidanji:20171222163926j:plain

メールを送る必要あるときはネットカフェに行くか、誰かのポケットwifiを使用する。

しかし基本的に情報共有は全て個人携帯で行われる。

 

 

今回は任地に赴任し三週間が過ぎたこのタイミングに職場の様子をまとめた。

今日が年内最後の出勤日。

来月から自分の活動、こちらの文化等紹介していきたい。

 

 

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青年海外協力隊の訓練を終えた今

青年海外協力隊2017年度2次隊の訓練生活を終えた。

終えてから一週間と経過していない今思い出す訓練生活を綴ろうと思う。

 

この70日間は、総じて一生の思い出になったことに間違いはない。

ここでの出会いも一生続くだろう。

出会った仲間の今後も非常に楽しみだし、現在と2年後の自分のギャップを見てもらうのもすごく楽しみだ。

家族のような距離感で関われる仲間も、尊敬する人もたくさんできた。

修了式には、ドライに見える人が涙を流していた。

やはりここでの生活は私だけではなく、誰しもにとって特別だったのだろう。

 

 

            f:id:yaseiyasaidanji:20170918162106j:plain

 

しかし、

これから時間が経って残る記憶はこのようないいものばかりになるだろうから、

ここでは敢えて、あくまでも個人的悲観的視点でこの70日間を振り返ってみたい。

 

訓練の内容と感想を書こうと思う。

 

 

訓練の内容

協力隊の訓練の内容は大きく分けて、

語学

諸々の講座

の二つに分かれる。このルーティーンに度々イベントが挟まれる。

 

それ以外では、

毎朝の約20分間のランニング

二本松市内の農家さんやお寺、デイサービスセンターや老人ホーム、保育園などへボランティアをしに行く2日間の所外活動

一泊二日の野外訓練

訓練生が自主的に開設する自主講座・イベントの企画や参加

などがある。 

また、各委員会活動やJICAから出される諸々の課題が休む暇を与えてくれない。

私は野外訓練委員を務めた。

アウトドアが好きだからという気持ちで踏み込んだものの、一番大変な委員会だった。特に当日一週間前から頭の中は野外訓練でいっぱいになった。

野外訓練委員を考えている訓練生は、覚悟していた方がいい。

 

これらの語学以外の訓練が、果たしてどの程度“訓練”として意味を持ってくるのかまだわからないが、とにかく忙しい毎日だったことに間違いはない。

 

 

やはり、誰しもが70日間で最も苦労するのはもちろん、

語学授業である。

 

この70日間で、中学3年間の英語の学習時間×2に値する時間を語学習得に割くらしい。

また、講師も実力派揃いで、クラスも基本的には少人数制をとっている。

日本最強の語学学校と言われる所以はこの辺りにあるのだろう。

非英語の訓練生たちは、初めて勉強する外国語を2ヶ月後にはある程度話せるようになっているのだから驚きだ。

 

では、英語履修者は楽じゃないかと言われれば、そんなことはない。

英語クラスには、普通のホームクラスとは別に非英語クラスにはないテクニカルクラスという授業が設置されている。

そのクラスでは自分の任国での要請に関連する専門的な英語力や、ワークショップの企画運営力を身につけさせる。毎回課題も大量に出る。多くの訓練生にとって、これまでの英語力とは全く違うスキルを身につけさせることになるため、非英語のクラス同様非常に苦しくなることには変わりない。

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(農業チームに所属していた私のテクニカルクラスはそこまできつくなかったし、ホームクラスも幸いなことに最もゆるいクラスだったので、大変さはクラスによっても違う)

 

しかし、大学院生というもう一つの顔を持った私にとっては、大学に提出するレポートとの両立に最も追い込まれた。心が折れかけた。そこにいる95%以上の人たちは、その訓練生活だけに集中すればいいので、この境遇を共有できる人はいない。

私が以前の記事でも勧めている、この青年海外協力隊 兼 大学院生」の両立は、正直、70日間の訓練期間はかなり厳しい。貴重なそこで出会った面白い人との付き合いに割く時間がなくなるし、精神的にゆとりがないため、ノリの悪い訓練生にならざるを得ない。

これが、大学連携で参加できている学生にとってはまた違うかもしれない。

また、大学院によってはレポートの期日や内容を融通して貰えばいいかもしれない。

 

自分が非英語のクラスだったら成し遂げられていないことだったと思う。

語学力は追い求めたら終わりがない。私も決して成し遂げられたのは最低限のことで、総合的な英語力が伸びた実感はそこまでないのが本音だ。

 

よく語学に悩み泣いている訓練生も見たし、多くの人はこの70日間が人生で最も勉強した期間だったと口にしていた。

これから訓練に行く方々は、ぜひ自分なりの乗り切り方を考えておくといいだろう。

外出可能な水土日に開かれる飲み会は、訓練期間中誰しもが頑張りのエネルギー源にする。

 

講座については、記憶に残る新しい気づきを与えてくれる体験型のものもあれば、ただ座っているのが苦痛な内容のものもあった。睡眠や内職をしている訓練生も多い。スタッフはそれをみて度々注意する。

内容的には本来意味あるものばかりだったと思うが、

健康・安全や危機管理関係以外の講座については、この1・2時間話を聞いた程度でどうなるのかというものもあった。

 

終盤になると、講座の内容が出題されるテストもあるので、講座の間はメモを取るように心がけるといい。講座テストの内容は、初日に配布されるハンドブックに記載されている。選択式のテストで、正答のほとんどは配布された資料に掲載されているので難易度も決して高くないが、毎回7%前後の訓練生が再試験を受験させられているので全く対策せず合格するテストでもない。一度全資料目を通しておくといい。

 

 

訓練の感想

私は、この“訓練”を終えて、なんともスッキリしない気持ちが残った。それは、facebookタイムラインが同期隊員による訓練終了と協力隊に正式になれたことを報告する投稿の嵐になっている訓練終了後5日目の今も変わらない。

 

 

どうもモヤーーットしていることがなんなのか、まだわからない。

 

 

協力隊を志願してくる人たちは皆様々で、実に多様なバックグラウンドを持っている。モチベーションもボランティア理論も異なる。それはこの事業の魅力でもある。

協力隊事業がチャレンジの場でなく、一時的な日本社会からのエスケイプや、単なる海外渡航のきっかけ提供の場になっていることも、決して悪いことではないと思う。この2年間を通して何かを感じ取り、社会へ還元して行くことで、それは日本のためにも時には途上国のためにもなっていく。

 

協力隊事業もその一部であるODA予算は、時に国家予算案決定の際に予算削減の対象として白羽の矢が立つ。

税金であるそのお金の使い道が国民に見えにくいため、どうその予算が有効活用されているのか認知されにくいから仕方ない。その結果が日本や国民へ還元されるのも遠い先だ。

お役所仕事なので、どうしても一年の協力隊予算はその年度内に使い切る必要がある。

そのためには、現行の訓練制度の中では、少ない志願者に対して、協力隊の窓口を大きくし、合格ラインを引き下げざるを得ない。繰り返すが、これも魅力なのだ。多くの市民に参加の資格ときっかけが提供される。

 

しかし、私たちの活動は本当に途上国のためなのだろうか。(いや、そうではない。やはりそれは建前の話で、日本のためだ)

ボランティアという言葉は果たして私たちの活動を表すのに適切なのだろうか。(いや、本当は日本の名前を広め、日本の評価を少し引き上げるために飛ばされる駒の一つ一つに過ぎない)

 

 

世界に途上国を生み、途上国たらしめている先進国の人間がボランティアに行く。 

それも先進国の決して豊かでない国民から集めた税金を使って。

 

 

世の中には矛盾だらけだが、その一つ一つに感傷に浸っている時間的余裕はもうない。

                        

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動く組織が大きければ大きいほど、外交や政治と関われば関わるほど、その概念は複雑だ。

その社会の複雑性と、心の澄んだ協力隊訓練生の抱く参加動機には大きな隔たりがあるようにも感じた。

 

 

 

これから訓練を受ける候補生には、訓練生同士、ぜひ深い話をすることをお勧めしたい。

なぜ協力隊に来たのか。

どんな社会に不満を抱いているのか、それをどう変えていきたいのか。

何が自分を途上国に導いたのか。

帰国後には何をしたいのか。

 

私の感じたモヤモヤも、忙しさゆえの対話の不足によるものだったと思う。

 

 

来月フィリピンへ派遣されれば、私は一個人の協力隊員だ。

背中に日本国旗を背負っていようが、付き合えるのは目の前の数えられる人々だ。

対等な立場で向き合い、私に何ができるのか、模索してきたい。

活動を日本の方々に紹介するのも、国民の皆さんから集めたお金で派遣されている以上、当然の一つの責務だと思っている。

  

派遣までの日本での1ヶ月間、しっかり会いたい人に会って(会いきれないが)、

準備して臨みたいと思います。

 

ここまで読んでいただいた方、ありがとうございました。

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サボっていた記録とアウトプットをまた再開します!!

協力隊赴任地であるフィリピンの田舎に突撃ホームステイしてみて

先日、卒業旅行と題してタイ・ラオス・フィリピンを全18日間の日程で旅してきました。

主な目的地はラオスルアンパバーンとパクセ、そして協力隊の赴任地であるフィリピンパナイ島アンティケ州です。

 

この記事ではフィリピンへの視察旅についてまとめてみます。

今回の目的地はパナイ島にあるAntique(アンティケ)州のSan Remigio(サンレミギオ)町。私はこの町の役所に置かれる農業事務所にこの秋から派遣になるため、あらかじめ情報収集に当たろうと考えました。

 

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(目的地はここ↑)

 

フィリピンの田舎にホームステイしてみた

 

 

みなさんのフィリピンの治安のイメージはどんなものでしょうか。

 

私はこれまでに4回フィリピンを訪れていますが、一般的に観光客として歩ける場所(≒観光地)で覚える恐怖感は他の東南アジア諸国と比較して群を抜いていました。

また、マニラ市内やスラム地域、夜の街は1人で安心して歩けたものではありません。

スリは当たり前に横行しています。モールの付近で4人組の青年に囲まれバックを強引に奪われそうになったこともあれば、子供達に囲まれて気がついたらポケットに手を入れられたなんてこともあります(日常的に事件が発生するような場所は大体決まっています)。友人は殺人現場を目の当たりにしています。地方に住むフィリピン人ですら都市部に住むフィリピン人を信用しませんし、1人で行くこと自体止めてきます。

 

 

さて、「ホームステイしてみた」は些か間違いで、どちらかといえば「ホームステイせざるを得なかった」が当時の状況を正しく表現しています。

目的地に「宿泊場所なんてない」と前泊したホテルで聞かされていたので、宿泊地の予約なし、飛び込み訪問を図らざるを得ませんでした。実体験に基づく暗いイメージを抱きつつ、アクセス情報無し、宿泊場所も無しということで、好む好まない関係なくノープラン旅をせざるを得なくなったわけですから、久しぶりにヒヤヒヤした旅のスタートでした。

 

 

イロイロ国際空港から(San Jose de Buenavista 経由)協力隊赴任地San Remigioへのアクセス 

パナイ島は中央に山脈が連なり、地域は大きく東西に区切られ、生活様式も言語も異なります。そのため、中央を貫通する交通手段は今の所なく(現在建設中)、島をぐるっと回り込む形で移動しなければなりません。

 

今回私はセブ空港からイロイロ空港にローカル便で降り立ちました。

 

まず、イロイロ国際空港からイロイロ市内SMモールまでは乗り合いバンが出ています。一回の乗車50Pです(ただし、SMから空港へは70P)。バンが満員になると発車しますので、時間にゆとりを持って乗車することをお勧めします。

SMからMoloのターミナルまで徒歩またはモーターバイク、ジプニーで移動します。ジプニーで移動する場合、乗り換えが必要になるので土地の理に詳しくない場合はモーターバイクが無難でしょう。

市内のMoloのターミナルからSan Jose de Buenavista 行きに乗り(70〜100P)、終点で降りるとそこがジプニーターミナルになっています。驚いたのは、このSan Joseのターミナルにマニラからのバスが発着していること。エアコン付きのバスで1000P、丸一日かけて海をバスごと渡ってきます。

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ジプニーターミナルでSan Remigio 行きのジプニーを探します。そのジプニーはSan RemigioのPublic Market まで連れて行ってくれます。私が今回行ったのはSan Remigioの中にある山あいのバランガイAningalanで、Public Marketからさらにモーターバイクで20分ほど登ったところです。Moloのターミナルを朝6時に出発し、11時半頃にはAningalanに到着しました。

 

 

パナイ島の人々の心の温かさ

さて、San JoseにMoloのターミナルから乗り合いバンで到着したのはいいものの、そこからSan Remigioへの行き方がわからなかったので、市内にあるtourist officeを訪れました。が、土曜で閉まっていました。そこで、その付近にいた警備員に「San Remigioに行きたいんだけど」と伝えてみると、彼はまさにSan Remigio出身とのこと。

 

東南アジアを歩いていると、この人は信用できるのかできないのか、瞬時に判断できるようになりますよね。

 

これはラッキーだと思い、行き方を教えてもらいました。この方が恩人①。その後なんと、恩人②のジプニードライバー、恩人③のトライシクルドライバーが私を丁重に次の人へと託し、彼らについていくだけで簡単に目的地であるSan RemigioのAningalanに到着し、それだけではなく、そのままホームステイさせてもらう運びに自然となりました。ジプニードライバーにも「俺の弟の家なら泊まっていいからな」みたいに言っていただきました。

 

 

信じられますか?私のこれまでのフィリピン渡航経験の中では全く考えられない経験でした。これまで、「フィリピンを歩くときは誰も信じるな」 が経験から得られた自分にとっての教訓だったからです。

 

 あとで調べてみてわかりましたが、このパナイ島の人々はフィリピンの中でも性格が温厚で愛情深い人々が多く、イロイロシティは「愛のまち」と呼ばれているようです。納得です。

(田舎の人にはイロイロシティはそれでも都会で危ないから気をつけろと警告を受けました。。)

 

 

サンレミギオはこんなところ

今回のホームステイ先である赴任地の紹介を少しだけしたいと思います。

サンレミギオ(San Remigio)の特にアニガラン(Aningalan)は山岳地域に属するため(標高は300m〜500m)フィリピンの中でも珍しく涼しい気候が特徴的です。そのため、この避暑地を求め観光客や外部からの移住者の注目の的になっています。夜間は半袖でいると肌寒く感じられます。

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(どこか私の地元である山梨県八ヶ岳南麓と似た景色。)

 

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広大な敷地を都市部の富裕層が買い占め、原住民と混在しています。彼らからしたら、週末に帰る別荘というイメージでしょうか。中には土地外の人間を雇用し、観光客をターゲットにイチゴ栽培をしている一帯もありました。(イチゴ栽培といえば以前の協力隊員の影響でしょうか?)

 

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低地は機械化の波がすでに及んでいるようでしたが、ここではまだ水牛を使って耕耘していました。これを体験するのが一つの夢でした。単純作業に見えてそう上手くいきません。早く赴任してから習得したいです。

 

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Aningalanのマーケットには地元で栽培された有機野菜が並んでいました。ツアー客は喜んで買っていきます。多品目にも及ぶ野菜が栽培されており、正直驚きました。写真には写っていませんがこの他にもトマト、ナス、トウモロコシ、ダイズ、ピーマン、レタス、サヤエンドウ、サヨーテ、ダイコンなどなど。どれも有機栽培です。

 

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フィリピン料理と聞くと油っぽく肉がメインの印象が強いですがここではしっかり十分で良質かつ新鮮な野菜を摂ることができます。ホームステイ先のホストマザーが作ってくれる料理は格別でした。

 

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洞窟や渓谷はここの有力な観光資源。30Pの入場料を払うとガイドが付いてくれます。ラフレシアは生憎枯れてしまったあとでした。花は5日間の命なのでしょうがありません。まだ一般公開されていない洞窟にも案内してくれました。

 

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案内してくれたのはスポンジボブの帽子をかぶった彼女。

 

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この池では釣りもできるらしいのですが時間的に厳しかったようです。

 

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モーニングコーヒーはもちろんネスカフェ

 

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夜集まった村の子供達とホームステイ先のホストファザー。彼らは日本に興味津々。日本語のレッスンが突如として始まりました。心の清らかな子達です。

 

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今回滞在したホストご夫婦と、結局4日間も僕の面倒を見てくれたツアーガイド。この旅一番の恩人達です。決して見返りを求めないおもてなし、なんだか懐かしい気がしました。

 

田舎に飛び込んでみて

この旅全体を通して、一番に考えさせられたこと、それは

「何がこんなにも人々の性格を変えるのか」ということです。

これまでの観光地巡りの旅では考えられない、同じ国の人々でもまったく違う心からの優しさを感じました。これは日本の都会と地方とでも置き換えることができるかもしれません。

 

何が擦れた人間をつくるのでしょうか。

換言すると、何が寛大で優しい人間性を、貪欲でセコい人間性にするのでしょうか。

 

 

現地視察を事前にする意義

まず、全職種に言えることですが、JICAの要請に記された現地情報は必ずしも正しくありません。それは調査不足に起因する要素もあるかと思いますが、基本的に時間差が要因のようです。派遣要請が提出されてから、志願者を募り、合格し訓練を終えていざ現地へ派遣となるとそこには1年から2年の時間的隔たりが出てしまうため、現状は変化します。

 

私の場合、要請には「現地では有機栽培はされていない」と記されていましたが根本から間違いで、3年前から有機栽培が始まっていました。これを知って赴任するのとしないのとでは、活動始動に向けて費やす時間的エネルギーに雲泥の差が生じます(今でも赴任してから最初の1年間は具体的な活動自体何もできないというのが暗黙の通説、それはそれでいいと思いますが)。

また、協力隊員には、日本のノウハウを一方的に提供するのではなく、現地の要望に耳をそばだて、彼らの文化や環境に配慮した形でボランティア活動をすることが求められます。つまり、どうしても、まずは彼らの生活に溶け込み信頼を得て、現地情報収集し、、、と考えるとまとまった時間がどうしても必要です。

赴任地の現状を早めに正確に捉えた上で、情報へのアクセスが容易な日本で自分の不足知識や技術を補完して赴任することで、よりスムーズに活動始動できるようになるのではないでしょうか。

さらに、現地の人と連絡先を交換しておくことで、現地の正確な情報をon timeでキャッチすることができます。

 

特に野菜栽培隊員は、派遣時に最も荷物が多くなる職種と聞きます。書籍等に加え農機具や諸道具なども持ち込む必要があるからです。ですが、あらかじめ現地の情報(気候や栽培品種、栽培方法など)を得ることで、この荷物の量を必要最低限に抑えることができます。農業の方法に正解はありませんので、派遣されてから彼らの農業を理解しようとしてもそこに莫大な時間がかかってしまします。まして、私のように実務経験が乏しい隊員のように、経験不足がネックであればなおさらです。国内での活動イメージ像は実際には意味をなないかもしれませんが、頼りどころとなる幹があるのとないのとでは負担が違うと思います。

 

 

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青年海外協力隊を目指す学生の皆さんへ〜志願書の書き方編〜②

現在大学生の方、または新卒で青年海外協力隊を目指す皆さん

こんにちは。
大学の卒業論文の提出を終え、あとは最終発表会を待つのみとなりました。

クリスマスから年末にかけて

卒論をほっぽらかしてタイの蓮の花を見に行ってきました。
最高でした。

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今回は、書類審査での質問内容と、僕自身が誰の添削も受けずに作成した志願書で選考をパスした方法を書きます。

(面接の対応法はまた改めてまとめてみます。)

 

さて、青年海外協力隊を考えている人でしたら一度は調べたことがあるかもれませんが、選考は二段階踏まれます。それぞれの選考に一ヶ月程度かかります。

 

一次・・・書類審査

二次・・・個人面接(人物面接+技術面接)

 

です。

そうです、書類審査を通らなければ東京での面接にすら呼ばれません

 そして、学生の多くがこの書類審査で落選します。

 

一次審査で提出する書類は以下の5種類です。

 

 

①応募者調書

②応募用紙

③職種別試験解答用紙(該当職種のみ)

④語学力申告台紙

⑤健康診断申告書

 

過去の記事でも書きましたが、この書類の中で最重要審査項目は⑤の健康診断申告書でしょう。

(以下リンク先) 

yaseiyasaidanji.hatenablog.com

 

しかしこの⑤については直前にどうすることもできないので、今回は①〜③の書類作成にあたって僕が心がけたことを書こうと思います。

 

 
①応募者調書

 応募者調書には、

一般的な就職活動と同様、個人情報出願回数資格(外国語含む)の有無職歴趣味・特技などの

基本的な情報を書きます。

さらに、

 職種に関する実務経験・指導経験ボランティア経験、海外経験、社会活動経験等に加え、学生の場合は専攻や実習経験の有無などを記入します。(スポーツ枠の場合は過去の経験や大会の成績なども)

 

学生の多くの場合、実務経験や指導経験は無いので、それに代わるボランティア経験や海外経験を記入します。それらの経験を学生の間に長期的に積んでいるとかなり強いと思います。その時点で学生としての最大の短所である「専門分野での経験の不足」が克服できるわけですから。
僕の場合は野菜栽培に関連したボランティア活動も海外経験も皆無でしたので何も書けませんでした。

しかし、実務経験や指導経験が書けないからといって落胆する必要は全くありません

もう一度見てみてください。志願者が学生の場合に限っての記入事項が設けられています。

 

自分が現在進行形で学び続けているフレッシュな専門知識

吸収力に富んだ脳みそ広範囲にわたる視野

をここでアピールできます。

 

大学には自分が出願しようとしている分野に関連したスペシャリスト達がたくさんいます。

そのスペシャリスト達から吸収する機会である受講の経験、さらには実習経験をここで書きます。

逆に言うなれば、学生の間は関心ごとの範囲を広げ、貪欲に授業を聴講し、吸収できるものはしておくと、このような機会にアプローチの選択肢が増えます。

 

僕の場合、野菜栽培に直接関連した授業を受講したことがありませんでしたが(残念ながらそんな授業はありませんでした)、気象学や土壌学さらには農業が与える環境影響評価の実習経験、などから多角的に有機農業を見る視点を養ったことを書きました。これらは一般歴な現役農家さん達には書けないことです。経験量こそ劣りますが、持ち合わせた視点の数、固定観念のなさは逆に強みになります。

今思い返せば、より早くから学科の垣根を超えた授業の聴講をしておくべきだったと思っています。実習も今ではアルバイトやインターンとして補える機会がたくさんあるので探してみるといいかもしれません。

 

 
②応募用紙 

 応募用紙は志願者全員に課せられた書類の中で最も記入事項が多く、それだけに差の出る書類です。

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項目を整理すると、

1.動機・抱負

2.ボランティア活動の意義・目的

3.職種選択の理由

4.職種に関連した経験、技術適合性(セールスポイント)

5.予想される自信の弱点

6.経験以外に特筆するべき自己PR

7.協力隊帰国者の語る体験の中で心に残っているエピソードやアイディア

8.実際に自身が派遣された場合の活動内容

9.帰国後に経験をどう生かすか

 

 

 

ここで僕が最も注意したのは以下の点でした。

 でも、実は「なんとなく協力隊受けてみるか〜」で合格しちゃう人も中にはいます。

 

  • 日本ODA事業の一環として行われる協力隊派遣の目的にしっかり沿った個人的見解か
  • この経験が2年間のみで終わらず、将来に発展性があることが伝わるか(個人の人生目標達成と日本・国際社会への還元という二つの側面から)
  • オリジナリティーをアピールできているか

 

 

ここでいくら詭弁を並べても、JICAの意向に沿った協力隊員像にマッチしなければ、彼らにとっては採用する魅力が減ります。JICAのホームページをチェックし、協力隊派遣の目的に一貫して合致する書類作成を心がけました。そしてその中で自分の人生設計の中での協力隊経験の明確な位置付け自分だけが持ち合わせた他人にはない経験を明記しました。

 

 具体的な個人的理由は過去の記事に書きましたので見てみてください。

 

yaseiyasaidanji.hatenablog.com

 

 

③職種別試験解答用紙

僕が志願した野菜栽培隊員に課されたのは簡単なテストのようなものでした。字数制限なく以下の問いに解答して他の書類とともに送るという形でした。つまり、自分で文献調査なり先輩隊員への聞き取り調査なりを踏むことができるのでそこまで心配する必要はありませんでした。

 

問題

1.あなたが第1志望に挙げた、任国からの要望調査票に記載されている活動に対して、あなたは どのような取り組みをしたいと思うか、具体的に記しなさい。

 

2. 熱帯・亜熱帯において持続的な野菜栽培を展開するには、主にどのような点に注意すべきか、具体的に述べなさい。

 

3.熱帯・亜熱帯において野菜の有機栽培を行う場合、その可能性および問題点(難しさ)について 具体的に述べなさい。

 

4.用語説明(バイオマス・春化現象)

 

 

専門分野でかなり現実的な問題ですので、インターネットで調べるには限界があります

そこで僕がとった対処法は主に、

 

他大学で公開している授業内容の参照、

その分野での知識人・協力隊経験者への聞き取り

でした。

 

それらから集めた情報を元に自分の活動内容をイメージしてみてください。

ここで忘れてはいけないのが、任地での活動は日本での活動と全く異なるものであり、日本国内にいる自分たちには90%以上が未知要素でできていることです。

自分が今日本で考えていることが確実なんだという気持ちは文面に出さず、あくまでも実現可能性があるだけであって、今思いつく中でのベストなんだというスタンスがいいと思います。

現地でのニーズや状況の変化に柔軟に対応可能な適応力もしっかり伝えることが大事です。そしてこれは面接でもかなり突っ込まれたことでした。

 

以上です。
青年海外協力隊を目指す同年代、または後輩の皆さんに少しでも参考になれば幸いです。また思いつき次第更新していこうと思います。

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東南アジアを旅して人生少し変わりましたって話です。

僕にとって最長になった旅の中の一部の話。

 

大学2年から3年に上がる春休みの2月後半から4月の頭まで、東南アジアをめぐる一人旅に出た。

簡単に先に言ってしまえば、この旅を通して、

自分の生きる目的が少しだけ変化した。

 

将来は国際協力の分野に進み、食糧不足に苦しむ人々を「助けてあげたい」と考えながら大学生になったわけだが、それがこの旅を通して少しだけ変わった。

その後、他の活動を通してその変化に自信を持つようになったが、最初のきっかけはこの旅にあった。

自分の対相手目線が変わり、考えるスタンスが変わったのだ。

 

僕らは彼らに与える立場でもあるが、彼らに学ぶことが計り知れない

 

 

さて、旅先それぞれの地でディープな経験をしたわけだが、今回はその全貌を簡単に紹介して、インパクトを与えられたフィリピンでのことを書きたい。

 (旅の話はまた改めて書こうと思う。)

 

ざっくりとしたこの旅の行程は以下の通り。

 

●日本

山梨県

↓🚗(ヒッチハイク

関西空港

↓✈️

●フィリピン

ルソン島

↓✈️

セブ島

↓✈️

ルソン島

↓✈️

●タイ

プーケット周辺

↓🚌

バンコク

↓🚃

アユタヤ・チェンマイ

↓🚃

バンコク

↓✈️

ベトナム

ホーチミン

↓🚌

カンボジア

シェムリアップ

↓🚌

●タイ

バンコク

↓✈️

福岡空港

↓🚗(ヒッチハイク

山梨の実家

 

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山梨県を出発してすぐ、荷物が重すぎたことに気づく。旅先で何度も服を捨てようと思ったが、全て持ち歩くことにした。ここには旅先でお世話になる人へのお土産、カンボジアの小学校に届ける鉛筆、料理する乾麺も入っていた。)

 

 

当時、旅を終えた感想が書かれている。
今読み返すと今日までの自分に鞭を打ってやりたいと思うが、当時思い描いた方向に少しは進んでいる気がするのも事実。

www.facebook.com

 

 

 

フィリピンで見つけたこと

 

人と自然が作り出す造形と、心底明るい人々

 

フィリピンに滞在した期間、基本的に知人の家に滞在させてもらった。

お母さんは毎日薪で絶品を作ってくれた。

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主な行き先はルソン島タガイタイバギオバナウエの棚田と、マニラ近郊、そして友人が留学していたセブ島

 

知人の家に滞在し、現地に留学している親しい友人を訪ねるというスタートは、思い切った一人旅の出だしとして最適だった。

 

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(フィリピン留学後初のフィリピン観光地はタガイタイ。旅をする自分の存在の小ささを感じたなあ)

 

中でもバナウエの景色は、今までにない感動を与えてくれた。

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ただ棚田が美しかったのではない。

観光地化している棚田の脇には、ひたすら田植え作業に励む小さな子供と女性たち、人間と共存している牛の日常があった。

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(小さい子供が手植えで田植えをしている。この子供が家族の生業として手伝わされてているのか、この地域の景観を保全するために働いているのかは定かではない。こんな光景を見ると、昔自分が友達と遊ぶ時間を返上してやらされていた頃を思い出し、こみ上げる思いがいつもある。今となっては日本国内でこの光景を見ることも少ない。)

 

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小高い丘から見下ろすと、この村のコミュニティは山に閉ざされ、地域で完結している東南アジア独特の雰囲気があった。僕の東南アジアのコミュニティや伝統農業への強い好奇心が心に芽生えたのはこの瞬間だったと思う。

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 今後学び続けたいこと

 

東南アジアと一口にいっても、その自然環境はとても多様性に満ちている。鬱蒼とした世界に誇る熱帯雨林もある。産業や貿易が繁栄を遂げ、近代化の波に呑まれるデルタ地帯もあれば、グローバル化のグの字も感じさせない山岳地帯もある。島嶼部の小さな漁村もある反面、広大な沖積平野を有している地域もある。

 

自然環境が多様であれば、当然人間と自然の有機的環境である風土も様々だ。そこには人間の生き方が今も昔も変わらない地域だって数多く存在する。

 

僕ら(先進国と言われる国に住む人々)の生活ぶりや暮らしの中での理想・追い求める豊かさの定義は多様化し、その共通解は誰にもない。

 

人間一人の一生という短い時間の中でさえ、我々の生活を取り巻く環境の物質的な発展は目覚しい。たくさんのモノがある。お金を出せばモノは何でも手に入る。 

大きな経済システムの中で、自分がそのどの位置を占めているのか知らぬ間に人生を磨耗する人が大半だ。

 

その一方で、人が大昔に住み始めて以来、生活に変化がない地域が東南アジアにはある。先進国の植民地時代を経て、先進国向けのプランテーション農業が環境を大きく変えて来たとはいえ、気候変動が人々の生活を直接脅かし始めたとはいえ、まだ昔ながらの地域は存在する。

 

そこには自然との共存があり、隣人愛があり、人間らしい明るさがある。

 

僕は、そんな定説のようなことを、この旅からなんとなく肌で感じとり、同時に漠然と違和感を覚えた。

 

「先進国の人と途上国の人のどちらが幸せなのか」

という問いには答えを持ち合わせていない。

 しかし、二元論に答えを求めるのではなく、どちらにも良さがあるという前提の上、これからの社会が向かうべき方向はなんなのか考えたい。

 

それを学ぶために大学院に行くつもりだし、それを学び考え続けるために生きたいと思う。

 

 僕にとっては、そのための国際協力につながれば理想的だ。その第一歩が青年海外協力隊での活動になればいいと思っている。

 

 

 

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青年海外協力隊を目指す学生の皆さんへ①

現在大学生の方、または新卒で青年海外協力隊を目指す皆さん

今回は、大学生活を送る中で協力隊員になるために僕自身が実際に、これは活きた、重要だと感じたことを書きます。

(志願書の書き方や面接対策等は後ほど改めてまとめようと思います。)

 

これは、僕自身の個人的な見解であること

協力隊になるための、つまり単に採用側からのウケをよくし、

その試験をパスすることに重きを置いた視点から書くことに注意してください。

 

逆に捉えると、そうです。志願者の素質に左右されることなく誰にでもチャンスはあるということです

「一度は青年海外協力隊に憧れたけど、、、」そう思っているあなたに向けて、一歩を踏み出すきっかけになることを願っています。

 

以前の記事にも書きましたが、協力隊員になる年齢層は20代後半〜30代がほとんどです。考え方によってはこの現状でしかるべきなのかもしれませんが(知恵や経験量が豊富だから)、学生または卒業したばかりの私たちにしかできないこともあるはずです。学生の強みは何か、そこに対策の重きをおくべきです。

 

yaseiyasaidanji.hatenablog.com

 

 

 

1.最重要項目は健康状態

 

これは学生問わず誰しもに言えることです。そんなの当たり前のことだろと思うかもしれませんが、事前に提出する健康診断の結果でつまずく志願者は意外と多いです。そして、ここで問題がある場合、短期間では対策のしようもありません。

考えてみれば当たり前のことです。日本国内よりはるかに過酷な環境下で、精神的にも肉体的にも大きな負担のかかる2年間を過ごさなければいけないのです。海外でボランティアをするより自分の体調管理に時間やエネルギーを割く訳にはいきませんよね。日本政府もそんな人に莫大な税金を投じるわけにいきません。

 

僕が面接を受けた際、面接会場で200名を超える志願者に、JOCA(青年海外協力協会:協力隊関連の事務を担っている)のスタッフの方が言っていました。

「前回隊員のうち10数名は訓練の途中で辞退していただきました。健康状態に問題があったことや、虚偽の申告をしていたためです。」

 

そして、僕の大学の博士課程を卒業する先輩も、心電図で不整脈が見られたため落選しました。彼は、高校時代陸上部で短距離を走り、今でも昼休みにサッカーをすると誰も追いつけないほどの体力を持った人です。博士号を取得(予定)し国家公務員試験をパスし、英語もスペイン語も堪能なのにもかかわらず、日常生活に何の支障もない病気で落ちました。

協力隊への志願を考えている方々には、

なるべく早い段階で健康診断を受診することを強くお勧めします

 問題が見つかった場合、出願の前に治療が始められるからです。

実は僕も、心電図で不整脈の中の徐脈という症状が直前で見つかりました。医者には問題ないだろうと言われましたが、証明書の心電図結果は正常ではなかったので、結果が届くまでハラハラしていました。

 

 

2.熱意と志願動機の伝え方を考え、差別化を図る

 

合格するための視点で言うなれば、

伝わるための材料集めをどう学生のうちにするかです。

この点で学生の強みを存分に発揮できると思います。社会で現役で働かれている方々に比べ、使える時間がかなりあるからです。

すぐ思いつく時間の使い方は、英語留学、TOEIC(またはTOEFL) の点数を上げること、スタディツアーに参加して途上国を実際に見ること、などかもしれません。

もちろんこれらの活動はプラスになるでしょう。志願書に記載して悪い印象は与えないと思います。

 

しかし、まず言えるだろうこととして、

特別に高度な英語力を必要とする案件以外(必要な英語レベルは要請ごとに書かれている)、英語力はさほど選考基準に関係ないことがあります。

協力隊員=英語力が必要である」という考え方からは早めに脱却することをお勧めします。そこに時間をかけるなら、他のプラスαで自分のオリジナリティを伸ばし、強みをつけるべきです。

僕の周りにはTOEIC200点台で合格した人も普通にいます。

 

英語力が必要ないと説く理由としては、

第一に、赴任地が英語圏とは限らない、むしろ英語圏ではない国に派遣されるケースが多いからです。

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https://ja.m.wikipedia.org/wiki/:英語を公用語としている国の一覧

アジアもラテンアメリカも基本的には英語ではありません。アフリカでも一部の国です。英語が話せるよりは、フランス語やスペイン語ポルトガル語を使える方がむしろ今後の国際協力の市場を考えた時アドバンテージになることが多いのではと思います。英語は確かに世界でオフィシャルな言語ですが、協力隊の活動場所は世界標準の行き届かぬ地域がメインになります。英語力がさほど必要ないのはこの点によります。

しかし、現地語を現地でどうやって学ぶか、それは確かに英語が話せる上で成り立つとは言えるかもしれません。

 僕はフィリピン隊員になるのですが、現地語でコミュニケーションをとることになると、既に先輩隊員に言われています。フィリピンでは、英語が公用語になっているにもかかわらずです。

 

第二の理由として、70日間の派遣前訓練があるためです。JICA側はこの訓練で全隊員にある程度の語学力を身に付けさせられると強気です。この協力隊の訓練は、日本最強の語学学校とも言われています。まだ訓練所に入っていない僕が聞く話ですが、ここでだいたい基本的な語学力がほぼ全ての隊員に備わるようです。

と考えれば、英語力は最低限中学英語が読める程度で問題なく、それ以外のプラスαは何か、それを考える方が妥当な選択でしょう。自分の差別化のために時間を使うといいと思います。

 

 

国際協力への意欲を示す材料を集める

先ほど触れたように、

学生の強みは、意欲を示すための具体的なアクションを起こすだけの時間があることにあります。それが何なのかという具体的な答えはありません。

国際協力NGOインターンをすることかもしれません。途上国を自分で旅することかもしれません。または、海外に出るのを見越し自分の専門を磨くことかもしれません。学生向けのJICAのプログラムやスタディツアーに参加するもいいでしょう。

大事なのは、

自分で、オリジナリティを求め、それを深め、具体的な活動として示すことです。スタンダードを求めると、実務経験のない学生は、同じ土俵で選抜されるスキルや知恵に富む社会人に埋もれてしまい、選考を突破するのは難しくなると思います。

 

僕の場合は、JICAの学生向けプログラムへの参加、農業経験の蓄積、東南アジア一人旅などがそれに当たり、面接でも志願書類作成の際にも大変有益でした。

面接当日、面接官に

「あなたはどの程度農作業に携わっているんですか?」と聞かれ、

「3日前には田んぼの草取りをし、今はこのスーツの下は虫刺されで実はすごく痒いんです」

と答えた時、インパクトを与えた印象がありました。

話は逸れますが、これは大学院の入試にも活きました。

同じように学部4年生で合格した女性の友人も、暇があれば中東やアジアを1人で歩き、JICAのプログラムに参加し、大学では自分で新しい国際交流団体を創設など、プラスαの経験を積むことに貪欲な印象でした。

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(『大学生国際協力フィールドスタディプログラム』でインドへ2週間行った時)

 

 

3.自分の分野選びは事前にしておく

 

一般的には、

①協力隊に行きたい→

②自分の出願できる分野を探す→

③案件選びをする

の流れになります。

この②と③のステップはほぼ同時に踏むことになりますが、重要なのは、②へ移るタイミングです。

協力隊に興味を持ったのなら、すぐに前回の募集に、どんな分野でどんな案件があったのか調べてみることが重要です。

そして、自分の行ける案件を探すのではなく、自分が行きたい案件を探すことで、出願準備に踏み出すためのモチベーションの向上と、具体的なアプローチの仕方(野菜栽培の経験を踏むべきなのか、パソコンの資格を取るべきなのか、写真の勉強をするべきなのか、それとも語学をやるべきなのかなど)が明確になります。

そして、自分の行きたい分野や国の先輩隊員のブログや書いた報告書などを参考にするのもお勧めです。僕はネットで検索しヒットした先輩隊員にfacebookで直接コンタクトを取り、事前の準備などの相談に乗っていただきました。僕の分野には出願の際に課題が課されていたので現地の活動を終えた先輩が実際にどんな状況に置かれたのかを聞くことは、かなり参考になりました。まだ一度もお会いしたことがありませんが、優しくアドバイスをしてくれました。協力隊のOVの皆さんはきっと、喜んで後輩隊員のサポートをしてくれると思います。